女の子の残忍な殺害事件が連続して起きている。 早く犯人をつかまえて、市中引き回しの上、はりつけ、獄門さらし首にしたいものだ。 竹製の首のノコギリ引きでもいい。 秋霜烈日の厳罰をくわえろということだ。

最近、憤慨しているのは、犯人の人権とやらをかばうばかりに、警察が犯人の頭に服やジャンパーなどをかけて、隠してやる行為だ。 広島の事件も、ペルー人の男の頭をすっぽりとおおうように、ジャンパーをかけていた。 警察よ、どうしてあのような偽善的な行為をするのだ。 おかしいとは思わないか。 何を恐れているのだ。 警察までお役人根性になったのか。 官僚化したのか。 だらしない。 ヘッピリ腰の腰抜け警察よ、しっかりせんかい。褐だ!

犯人の顔を衆人の前でさらすのは大切な罰である。 衆人の前で辱めを受けさせるのは、犯人に対する、意味のある罰である。 衆人から石つぶての嵐がみまわれ、唾をはきかけられ、罵声を浴び、ぶん殴られるのも、意味があることだ。 犬畜生にも劣ることをすると、犬畜生以下の激しい、天罰がくだるということだ。

人を殺したら、その瞬間に、普通の人間のもっている基本的人権は停止されるのだ。 犯人には、基本的人権などないのである。 怒った民衆から、私刑( リンチ )をうけて、殺されないようにしてやる最低限の人権だけでいいのだ。 他の人権などは一切停止されるのだ。 だから、衆人環視のもとに、罵声を浴び、唾をはきかけられ、ぶん殴られてもやむをえないのだ。 殺人鬼にあたえられるものは、殺されない程度の最低限の人権でいいのだ。

ことほどさように、日本社会は犯罪に対して甘すぎるのだ。 犯罪を犯した人間に対して甘すぎるのだ。 だから、犯罪が増えているのだ。 とくに、シナチャンコロなどは、日本は天国と思っているだろう。 日本の司法と警察をなめきっているのだ。 かつての江戸時代、そして、明治・大正・昭和戦前期の日本のような秋霜烈日のきびしさが必要である。 人間を甘やかすとろくなことはない。 社会は、秋霜烈日のきびしさ、緊張感が必要なのだ。 現代日本は、たるみきった、ブクブク太った肥満体のような社会になっている。 筋肉質の社会に変えないと日本は滅んでしまうぞ。 しっかりせい、警察よ、日本人よ。