ポケットに入れて持ち運びができ、どこででも通信連絡が出来る携帯電話は、単に音声による送受信( 電話 )機能から、いわば “万能機” へと飛躍的に発展した。

 文字や記号によるメール通信を始め、各種ゲームはもちろん、写真、動画、音楽を取り込んだ機能を含め、 『 ケータイ 』 で書籍が読めるという世界まで “浸食” してきている。

 さらに、GPS [ 全地球測位システム = アメリカ国防総省が軍事目的で開発した複数の人工衛星を利用して、自らの位置を正確に測定することが出来るシステム。 1993年以降は民生用に開放され、カーナビゲーション・システム( 自動車の運転者に目的地まで誘導するシステム )としても応用されている ] の機能も付加されて、必要な相手に自分が現在どこにいるかを知らせることも出来るようになった。

 これは子供や老人の安全保護にも活用される便利な道具になっている。

 1990年には、日本国内で登録台数はわずか868万台だった 『 ケータイ 』 が、こうした機能が次々に付け加えられるに従って、その登録台数も増加、2005年には9,179万台( 経済産業基礎データ )まで伸びてきている。

 現在は、おそらく1億台に迫っているであろう。

 ということは、まだ歩けない乳幼児を除けば、日本人のすべてが何らかの種類の 『 ケータイ 』 を持っている計算になる。

 そのあまりの便利さ故に、一方その弊害もまた、あらゆる機会にさまざまな形で問題を提起している。

 人口が都市集中型の日本では、電車やバスなど公共交通機関が想像を絶する混雑ぶりを示す。 それらの中での 『 ケータイ 』 での声高な通話は、さすがに警告啓蒙の結果によるものか、少なくなってきてはいる。 が、未だ皆無ではない。

 何年か前の日本では、電車に乗るとそれが決まりであるかのように、新聞か雑誌や書籍などを取り出して、静かに読み耽る 「 勤勉家 」 が多い事に驚かされたことを思い出す。

 しかし、最近は、すぐに 『 ケータイ 』 を取り出す人が目立つ。 平均的な数字で約40%だろうか。 それも、かつては女性が多かったようだが、最近では男性も決して負けてはいない。

 彼らは、車内での飲食や人前での化粧をする人たち、それに若い男女の痴態( それらは現在は決して珍しい行為ではない )と同じく、 『 ケータイ 』 と睨めっこしている間は周囲の他人の存在は全く無視、自分だけの世界に没頭することができる、かなりの “鈍感力” の持ち主だ。

 面白いのは、車内で着信音が響くと、近くの人達がそれぞれ一斉にポケットやバッグを探って自分の 『 ケータイ 』 を確かめていることだ。

 しかし、医療機器への悪影響を考慮して電源をオフにするように掲示のある 「 弱者優先席 」 付近で、着実に 『 ケータイ 』 の電源を切っている人を、これまで見かけた事はない。
 いや、むしろその席に陣取って、メールに夢中の若者たちの姿を見かけるほうが日常の光景で、それは決して奇異な情景ではないのが現状の日本だ。
 ( 日中帯に横浜市営地下鉄のオレンジ・ゾーンを見てみれば、よぉ~く理解できます )

 病院など医療機関( 通常は院内は携帯電話機の使用が禁止されている )の待合室や廊下で、平気な顔で近親者に 『 ケータイ 』 で連絡をする人たちもいる。

 学校の教室内で、授業中の私語は減って静かになったが、 『 ケータイ 』 によるメールのやりとりは学生達の重要なコミュニケーション・ツールとなっている事に変わりはない。

 定置電話とは異なり、移動自由な特質を悪用して “振り込め詐欺” ( 不正に入手した個人情報を基に、架空の話を持ちかけて現金を詐取する新しい犯罪 ) にもこの 『 ケータイ 』 が悪用されているという。

 2台しかない銀行のATM( 現金自動預け払い機 )の前に立って、ATMの捜査をしないまま、長々と 『 ケータイ 』 で誰かと会話し続けている女性もいる。 長いQUEUE( キュー = 順番を待つ人々 )の事などお構いなし、他人の事など全く気にならない、自分だけの世界に浸り切っているのだ。

 どんなに緊急かつ重要な情報連絡の必要があるのか、人混みの中でも構わず、歩きながら 『 ケータイ 』 に夢中の人が多い。 回りの状況が見えなくなっていて、周囲に対する配慮が出来なくなっているのだ。

 過日、大阪の地下鉄・本町駅の構内で、女性が歩きながら 『 ケータイ 』 を操作、画面に夢中になり、他人にぶつかってプラットフォームから線路上に転落する、という事故が起きた。 これは起こり得るべきことが起きたまでである。

 本来ならば、彼女は列車事故で一命を失う所だったが、幸いにも軽い怪我だけで済んだことは、まさに僥倖だったといえよう。

 まさに死をも招き兼ない 『 ケータイ 』 だが、日本の国政を司る立法機関の国会議場でも、この 『ケータイ』 が問題となっている、というのだ。

 衆議院本会議場で、議員運営委員会の理事が 「小学生の子供に注意をするようで恐縮ですが ……」 と前置きして 「本会議場では携帯電話のスイッチを切り、使用しないように」 との注意を促したというのだ。

 それは、議長席から見ていると、本会議中に携帯電話を操作する議員、特に若い議員が多いのだというのだ。 他にも、新聞を読んだりノートに落書きをするマナー以前の議員の行為が目に余る、ともいうのである。

 確かに、TVや新聞の報道カメラが捉えた議員の手元の様子は、明らかに 『 ケータイ 』 を操作している姿がはっきり写し出されている。

 しかもだ、この 「小学生に対する注意」 以後も、日本の国会議場では、開会中の議席での 『ケータイ』 の使用が無くなっていないのだ、という。

 その国会では、 『礼節を重んじ、美しい日本国を創るための “教育基本法”』 が議論されているのだ。

 ニューヨークのブルックリン地区で、携帯プレイヤーの iPod( HDD = ハード・ディスク・ドライブ搭載の携帯デジタル音楽プレイヤー )などで音楽を聞きながら道路を横断中に、車にはねられる事故が頻発、昨年の9月以降だけで男性3人の死者が出た。

 そこで、同州議会のクルーガー議員がこのほどこうした各種の 『 ケータイ 』 機器を使用しながら街の中を歩く、いわゆる “ながら横断歩行” を禁じる法案を、議会に提出する、と伝えられている。

 この法案では違反者には罰金として100$( 約¥12,000 )を科すという。

 現在、日本では 『 ケータイ 』 に関する法的な罰則規定は、自動車の運転中の使用が禁止されているだけである。 他はマナーと一般個々人の良識に委ねられている。

 現在、日本の国は多額の負債に頭を痛めている。

 健全財政に戻すための、懸命の努力が求められている。 …… が、政府は徴収し易いところから税収を上げようと試みるだろう。

 今年の夏には参議院議員の選挙が予定されている。 それが終われば待ち受けているのは、消費税率を上げる議論の再燃だろう。

 『 ケータイ文化 』 にまで発展した社会現象を考えるとき、その功罪に対してある種の税負担や反社会的行為に対する “反則金” 制度を設けることは、あながち唐突な発想とも思えない。 これによって、相応の税収入が図れるのではなかろうか。

 仮に1台に対して¥1,000の 『 ケータイ税 』 を課すならば、それだけで直ちに1,000億円の税収となる。

 更にマナー違反による “反則金” 制度が施行されれば、当初は相当の反則金が見込めるだろう。 と同時に、その反則金が減れば減るに従って、この国が文字通り 「 美しい国 」 に向かっていることの証左となることは間違いないだろう。