( 2018.11.08 )

  


 一部で 「移民政策」 ともいわれている入管法改正案が成立しそうだが、この政策は後世に計り知れない悪影響を与えかねない。 実は100年前の日本でも同様の事態は発生しており、それは今日にまで在日朝鮮人差別問題として尾を引いている。

「移民政策」は日本の労働者にも百害あって一利なし


日本社会で事実上の「移民政策」を進めて、果たしてうまくいくのか
 安倍首相が頑なに 「移民政策」 と認めない 「外国人労働者の受け入れ拡大」 を目的とした出入国管理法改正案が、なし崩し的に成立しそうだ。

 誰も投獄されていない特定秘密保護法や、物証のない首相の口利き疑惑の時は、この世の終わりのように大騒ぎするマスコミや野党も、驚くほどあっさりとした批判で終わっているからだ。

 だが、この政策は我々の子どもや孫の世代に、計り知れない悪影響を与える可能性が高い。

 現在の日本の人手不足問題の多くは 「雇用ミスマッチ」 による 「人手偏在」 によるところが大きい。 つまり、新卒ホワイトカラーの求人には過剰に人手が集まるのに、低賃金で辛い単純労働的な求人は見向きもされないため、 「留学生」 や 「技能実習生」 という弱い立場の 「短期移民」 への依存度が高まっている状況なのだ。

 こういう負のスパイラルを断ち切るには賃金アップと生産性向上、それができない経営者の淘汰しかないのだが、今回の移民政策への転換でそれが一気にパアとなる。

 「人手偏在」 にどんなに外国人労働者を注入しても、辛い単純労働の価値をさらに下げるだけで、低賃金がビタッと定着するからだ。 こうなれば、低賃金でコキ使われる日本人や在日外国人の皆さんは 「お前の代わりはいくらでもいる」 と脅されるなど、これまで以上の弱者になる。 つまり、 「外国人労働者の受け入れ拡大」 で潤うのは、低賃金労働を前提としたビジネスモデルを死守したいブラック経営者だけで、我々一般の労働者からすれば 「百害あって一利なし」 なのだ。

 そう言うと、 「既に日本は移民国家だ」 という開き直る人も多いが、なぜそうなってしまったのかというと、今から100年前、良識のある日本人たちの 「警鐘」 を無視したからだ。


100年前の雇用ミスマッチで政府は朝鮮人労働者を “輸入”

 1917年、北海道や九州の炭鉱で深刻な人手不足が発生した。

 当時、日本の人口は右肩上がりで増えていた。 おまけに、ワークライフバランスなんて概念もないので、労働者は朝から晩まで働かされた。 そんな状況でも 「人手不足」 だというのだから、炭鉱業では常軌を逸した 「雇用のミスマッチ」 が蔓延していたわけだが、日本政府はそれを是正することなく、禁断の果実に手を出す。 「試験的」 という名目で、三菱、三井などの炭鉱に朝鮮人労働者約700名の受け入れを行ったのである。

 だが、当時の新聞人は今と比べてかなりまともだった。 「読売新聞」 ( 1917年9月14日 )の 「労力の輸入 最後の計算を誤る勿れ」 という記事が以下のように警鐘を鳴らしている。
 「鮮人労働者の輸入は生産費の軽減を意味ししたがって生産品の低廉を意味するが如きも事質に於ては只内地労働者のエキスペンスに於て資本家の懐中を肥やすに過ぎざるなり」
 「要するに鮮人労働者を内地に輸入するは我内地の生活を朝鮮の生活と同一の水準に低下せしむるとなしとせず」

 これは杞憂でも妄想でもなかった。 「試験」 の結果に気を良くした経営者は続々と 「鮮人労働者」 を受け入れた。 しかし、その一方で、日本の労働者の待遇は一向に上がらず、程なくして小林多喜二の 「蟹工船」 に描かれたようなブラック労働が定着していったのである。

 この100年前の過ちを、さらに大規模なスケールで繰り返そうというのが、今回の 「外国人労働者の受け入れ拡大」 なのだ。

 さらに言ってしまえば、 「人間」 を 「労働力」 という側面でしか見ない政策が、憎悪と対立につながっていくことも、我々は歴史から学ぶことができる。


生活の基盤を持つ外国人が感じる 「差別」

 政府が 「労働力の輸入」 に舵を切ってから3年後、 「朝鮮移民」 が増えた日本で 「在京朝鮮人の過半数は内地へ来て一年か二年経つと思想的に悪化し当局に対して白眼視する様になる傾向が現れて来た」 ( 読売新聞1920年8月24日 )という問題が発生している。

 そのように聞くと 「当時の朝鮮人は悪さをすることを目的にやってきた犯罪者も多かった」 と、トランプ大統領のようなことを言う人も多いが、実は当時の朝鮮人の態度が悪くなる最大の理由は、 「日本人のような扱いを受けられない」 という不満だった。 先ほどの新聞記事に登場した朝鮮人はこんな風に述べている。

 「内地人と私等とを差別されるので困る。 学生は学校、職工は工場で、其他日毎に遭ふ日本人は皆一様に私達に侮蔑的態度で接してゐる 。相当な地位或は財産が出来て内地の婦人を娶ろうとしても鮮人だからと云ってまとまらぬ」 ( 同上 )

 この主張の是非についてはややこしくなるのでちょっと脇に置く。 言いたいのは、日本人側がいくら外国人を 「労働者」 や 「移民」 と呼んで、日本人と異なる特別扱いをしたところで、それはこちらの一方的な押し付けであり、当の外国人は日本で暮らして働く以上、遅かれ早かれ日本人と同じ扱いを望むようになる、ということだ。

 よそ者のくせに何たる図々しさだ、と思うかもしれないが、それが 「人間」 というものだ。

 皆さんも想像してほしい。 もしどこかの別の国へ移住して、その国の言葉をしゃべり、その国の中で立派に働き、そこで家族を養うようになったら、その国の人とせめて同じくらいの権利や公共サービスを受けたいと思うのではないか。

 その国で何年も暮らしているのに 「外国人労働者」 と言われ続け、体調を崩して働けなくなったりしたら、すぐに国から出てけと言われたらどうか。 「差別」 だと感じるのではないか。

 どちらが正しい、間違っているという話ではない。 100年前、日本にやってきた朝鮮人労働者が感じた 「差別」 というものが、 「従軍慰安婦」 の問題や今回判決が出た徴用工の問題にもつながって、 「負の遺産」 になっているのは、動かしがたい事実なのだ。


「労働者」 としか見ないのがすべての悲劇の始まり

 ここまで言えば、もうお分かりだろう。 今回の 「外国人労働者の受け入れ拡大」 も 「朝鮮人労働者」 問題のリバイバルで、これから100年続く民族間の遺恨につながる可能性が極めて高いのだ。

 隣の国との問題はあくまでレアケースで、他の外国人労働者と遺恨など生じるわけがない、と嘲笑する方も多いかもしれないが、既にブラック労働に辟易とした 「技能実習生」 が、日本嫌いになって帰国するなどの問題が起きている。 また、 「移民政策」 だと批判された際の安倍首相の反論にも、その兆候が見て取れる。

 「素行善良で独立した生計を営める資産または技能があるなど、厳しい条件が課される」

 要するに、誰かれ構わず入れるわけではなく、品行方正な労働者だけしか入れませんというのだ。

 素晴らしいじゃないかと思うかもしれないが、我々が受け入れるようとしているのは、血が通った人間である。 入国した時は素行善良でも、1年経過すれば 「差別」 に不満を漏らす外国人になるかもしれない。 技能や資産があっても、ブラック労働に耐えかねて仕事をボイコットするかもしれない。 このように外国人を 「労働者」 としか見ないところがすべての悲劇の始まりだということを、首相は歴史から学ぶべきだ。

 2016年、SNSで一枚のFAXの画像が話題になった。

 技能実習生の雇用を企業に促すためのFAXで、 「外国人技能実習生で人手不足を解消!! 労働力として全国で約15万人が活躍中!」 という文言が大きく踊っていた。 もちろん、何者かが何らかの意図を持って作成したビラである可能性もあるが、それを見て 「いかにもありそう」 と感じたのは、以下のような記述があったことだ。

 「入国前には日本語やマナーを徹底教育しますので外国人技能実習生はオススメいたします」
 「実習生は基本仕事を休みません! 途中で辞めません! マジメで素直です! 残業、休日出勤は喜んで仕事します!」

 ここに日本人が100年前から克服できない 「病」 の片鱗が見える。 人手不足の炭鉱で朝鮮人を働かせた時代から、日本人にとって、外国人は低賃金で文句を言わずキビキビ働く、 「労働者」 であって、 「人間」 として見ていないのだ。


外国人差別が根強く残る国で 「移民政策」 が成功するわけがない

 さらに厄介なのは、この病はインテリの方が症状が重いことだ。 先日もニュースを見ていたら、 「論説委員」 という立派な肩書きを持つ方が大真面目な顔をして、こんなことをおっしゃっていた。

 「これから日本人は人口が急速に減っていく、いま反対をしても我々が年をとって、誰も介護をしてくれないなんてことにならないように、外国人を受け入れていくしかない」

 外国人を労働者どころか、介護要員や社会保障維持の人柱のようにしか考えていないのだ。 こういう 「外国人差別」 が根強く残る国では、 「移民政策」 など進めて成功するわけがない。

 世界一真面目で勤勉と何かにつけて自画自賛している我々日本人でも、あまりに辛いと仕事を投げ出す人がいる。 会社を辞める人もいる。 働きたくても働けないと心を病む人もいる。

 ならば、これから大量に受け入れる 「外国人」 だってそうならない保証はない。 そうなったら、さっさと荷物をまとめて日本から出て行け、と不法滞在外国人扱いとなるのか。 これまで日本社会に馴染んできた家族はどうするのか。 使い捨てのコマではなく、人間らしく扱うべきだ、と言う声も必ず出てくるはずだ。

 安倍首相はこれを頑なに 「外国人労働者」 と呼ぶが、世界ではそういうスタイルで働かされるのは 「奴隷」 と呼ぶ。

 今の国会で行われている論戦の最大の問題は、外国人を 「人間」 として見ていないことだ。

 「労働力」 という頭数でしか見ていないので、 「人間」 ならば起こりえる不正受給、犯罪、心の病など、我々日本人の中で当たり前に見られる問題がスコーンと抜けているのだ。

 その中でも最もゴソっと抜けているのは、人間ならば当然抱くであろう 「妬み」 や 「ひがみ」 という感情だ。

 なぜ日本人よりも何倍も多く働いているのに、日本人よりも待遇が悪いのか。 なぜこんなにも日本に貢献しているのに、日本人のように扱ってくれないのか。 我々は 「使い捨て」 なのか ──。

 このような不平不満に答えられないような制度設計では、外国人が雪だるま式に増えれば 「破綻」 をするのは目に見えている。

 個人的には、日本の賃金アップと生産性向上がある程度の水準まで到達した後、それでもまだ人手が足りない分野があるというのなら、 「移民」 を受け入れられればいい。 ただ、その時は日本人とそれほど変わらない待遇にする、という覚悟を持つべきだ。

 外国人は日本人が豊かな生活を送るための 「お手伝いさん」 や 「奴隷」 ではないのだ。


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