イラク日本人人質事件


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 イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。 誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、……
 日本に対しては、日本の自衛隊を3日以内に引き上げることを要求 するものであった。

 日本政府は、当時イラクへの渡航自粛勧告とイラクからの退避勧告 を行なっており、3人の人質被害者がそれを無視して渡航 したことや、その家族らが自衛隊の撤退要求を大々的にデモンストレーションした ことから、3人とその家族に対する 「自己責任」 という言葉をキーワードとした批判が巻き起こった。 特にインターネットの掲示板では 「イラク3馬鹿トリオ」 などと揶揄された。 さらにそれらに対する反批判などで国内政治家・マスコミ・世論が様々な見解をぶつけるなど、日本国内の注目を集めた。

 派生して、次のような問題が起こっている。

 被害者がボランティアを目的として入国したとすることについて、その内容の実際が、人質のひとりである30代独身女性が個人的に自分のアパートで行っていた10代の男の子限定の物資の提供等 であったり、高校を卒業したばかりの海外渡航未経験の未成年者による劣化ウラン弾の絵本書き( なお、この者は出版未経験者であった )のための取材がメインであったことがわかるにつれ、ボランティアとは何か との論争を起こすきっかけともなった。

 メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が人質宅に大挙して押し掛けたことについて、人質宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、人質宅が特定された。 そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、報道被害や報道の公正 という観点から問題にもなった。

 また各メディアの世論調査の数字の異なりなどから、インターネットにおいては、2002年のサッカーワールドカップの日韓共催 から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢( 往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字 が出された )への非難 が再燃した。

 被害者3名のうち2名が北海道在住であったことから、被害者家族に北海道庁が東京事務所での便宜供与を行い、このため同事務所の電話回線が混雑し通常業務が円滑に働かなくなったり、職員( 地方公務員 )の残業手当等を含め北海道に相当の額の出費が強いられるなどの影響がでた。 そのため、地元北海道では一般道民からの厳しい批判がなされ、地方自治体とボランティアの関係 についての一石が投じられる形になった。 ( 九州出身の被害者については出身県庁が積極的な便宜を図らなかったためこのような論議は起こらなかったが、後に全国的に地方自治体とボランティアという形で議論がされた。 )

 なお、この事件については不自然な点が数多くあり解放宣言時、現地ではメディア記者ですら使えないファクシミリが使われていたり、現地テロリストに見合わぬ装備を使用している等

 また、被害者は事件によってPTSDになったとして詳しい説明を拒否しているため、この事件の具体的な実情は依然一般に明らかになっているとは言い難い。

 なお、PTSDにより日本のメディアに釈明ができないと主張した人質被害者のうち、30代独身女性は外務省の渡航自粛勧告を無視してすぐにイラクに再入国しその後自分のボランティアの正当性を主張する記事を 北海道新聞をはじめとする数社の新聞社 に載せている

 同じくその後イギリスに渡航した未成年の10代男性もBBCなど外国報道機関には自己の正当性を主張しており、2007年発行の 雑誌AERA においても手記を寄せている が、事件内容については依然明らかではない。

 また、中日新聞により、女性NGO職員が犯行グループと接点があった可能性があった事が報道されている

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3月31日 - ファルージャで武装した米国警備会社の社員4人が殺害された。
4月6日 - 米軍が報復としてファルージャ攻撃を開始する。
4月6日 - 外国人拉致事件の最初の事件が発生する。( 拉致されたのはイギリス人 )
4月7日 - イラクで日本人3名( ボランティアと称する女性、フリーカメラマンの男性、ジャーナリスト志望の未成年の少年 )が武装勢力によって誘拐される
4月8日 - カタールのテレビ局 「アルジャジーラ」 が犯行グループから送られてきた映像を放送した。 犯行グループは、イラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。 犯行グループからの要求に対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
4月10日 - 小泉純一郎首相は、自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示を出した。 また、人質となった日本人3人の家族が東京でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が中東全域に放送された。
4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、 「イラク・ムスリム・ウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」 との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった。
4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装グループに拘束され、自衛隊に続いてイタリア軍に対してイラクから撤退が要求された。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局( CPA )の発表では12ヶ国、40人前後が人質に捕われたとされる。
4月14日 - 新たに、日本人2人( 自称ジャーナリストとNGO団体職員 )がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
4月15日 - 日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。 解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる 「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル( アンバル州の聖戦士軍団 )」 と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。 なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている
4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放された。 人質となった被害者の一人は 「人質である自分たちを助けるために政府は自衛隊を撤退させるべきだった」 とし、後に 「自衛隊を撤退させなかった事」 に対し損害賠償を求める訴訟を起こしたが全面敗訴。 また、解放後日本政府が負担した日本への帰国費用について、支払いを拒否している。
10月24日 - バックパッカーとしてニュージーランドからイスラエルを通じイラクに入国した日本人の青年が行方不明となり、彼を拉致したとする犯行グループの声明がインターネットに公開された。 小泉首相は即座に 「テロに屈することはできない。 自衛隊は撤退しない」 と表明した。 入国時に彼を目撃していた地元の人は 「ヒッピーのような格好でかなり目立っていた」 などとマスコミのインタビューに答えていた。
10月31日 - 首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様がインターネットに公開された。 遺族は 「息子は自己責任でイラクに入国しました。 危険は覚悟の上での行動です」 「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」 と言う声明を発表した。 そのため、最初の人質3人のようなバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した。

以下 取り纏め中

外務省(イラク:外国人誘拐事件の多発)

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