( 2015.01.30 )
【イスラム国殺害脅迫】
 イスラム過激派組織 「イスラム国」 の邦人人質事件に関する大報道が連日、続いている。 人質である後藤健二さんの運命に焦点が当たるのは当然なのだが、もう1つ大事な視点が失われているのではないか。 それは 「日本はヨルダンに大変な迷惑をかけている」 という問題である。
ヨルダンへの配慮が足りないのではないか

 ヨルダンは、もともと拘束された自国パイロットの救出を目指していた。 ジュデ外相は1月28日、CNNテレビのインタビューで 「 『 イスラム国 』 側と仲介者を通じて数週間にわたって交渉していた 」 とあきらかにした。

 後藤さん解放をめぐる交渉に先立って、ヨルダンはパイロットの解放交渉をしていたのだ。 そこに、イスラム国側が後藤さんの解放をヨルダンが拘束している女性死刑囚の釈放と引き換えにする条件を出してきたために、パイロットの扱いが2の次、サイドストーリーになってしまった。

 それどころか、29日未明に公表された後藤さんとみられる男性の音声によれば 「 私と交換するために死刑囚がトルコ国境に用意されなければ、パイロットは直ちに殺されるだろう 」 と通告された。 つまり、パイロットの命は解放どころか、後藤さんと死刑囚の取引促進材料に使われた形である。

 私たち日本人と日本のマスコミは後藤さんの運命ばかりに焦点を当てて事態を眺めている。 それは理解できる。 だがヨルダンにしてみれば、日本人の命を救うために、自分たちが犠牲を払って拘束した死刑囚を釈放しなければならないどころか、もっとも肝心なパイロットの運命がはっきりしないのは、とても受け入れがたいだろう。

 ずばり言おう。 私たちは後藤さんの運命を心配するあまり、ヨルダンの置かれた立場への配慮が不足していないか。 そんな姿勢が行き過ぎると、どうなるか。 「 日本人の安全さえ守られれば、他国の人はどうなってもいい 」 という身勝手な主張と紙一重になるのだ。

 なぜ、そう書くかといえば、今回の事件が起きる前から、世論の一部に 「 日本が戦争に巻き込まれるのはごめんだ 」 という主張があったからだ。 今回はイスラム過激派による誘拐事件であり、戦争ではない。 だが、本質的には似ている。

 日本は過激派に銃火を交える戦いを仕掛けたわけではないが、テロリストたちは日本人を誘拐した。 日本は 「 巻き込まれたくない 」 と思っていても、事実として巻き込まれてしまった。 日本が自ら戦争を仕掛けなくても、相手から攻撃を受ける可能性があるのと同じである。


「巻き込まれたくない論」 の本質

 本当の問題はこの次だ。 もしも日本が 「 オレたちは巻き込まれてしまった 」 などと思っているとしたら、大間違いである。 日本は 「 巻き込まれた 」 どころか、ヨルダンを 「 巻き込んでしまった 」 のだ。 当初は日本とイスラム国の事件だったが、イスラム国の巧妙な作戦によって、ヨルダンが当事者になってしまった。 その点に、私たちはどれほど思いが及んでいるか。

 ヨルダンはもちろんパイロットを最優先で助けたい。 だが、イスラム国が後藤健二さんと死刑囚の釈放を交換条件にしたために、話は複雑になり、パイロットのことばかり言ってはいられない状況に追い込まれた。 日本はヨルダンに迷惑をかけているのだ。

 こういう事態は初めての経験である。 だが、実は集団的自衛権をめぐっても同じような議論があった。 日本を助けにきた米国が攻撃されたとき 「 日本は指をくわえて黙って見ているのか 」 という例の仮説である。

 集団的自衛権の行使に反対して 「 日本は何もできない 」 というなら 「 自分たちが安全なら米国はどうなってもいい 」 という話になる。 今回のヨルダンに対する配慮のなさ、後藤さんの運命に比べて低い注目度を目の当たりにすると、どうも日本はあまりに身勝手なのではないか。 そう感じる。

 「 巻き込まれたくない論 」 の本質は、実はこの身勝手さにある。 「 私たちは平和憲法を守って平和を愛している。 テロリストの誘拐はひどい。 私たちは巻き込まれた被害者だ 」 というばかりで、自分たちがヨルダンを被害者に巻き込んでいる事態に気が付かないのだ。


日本が国際社会で尊敬される国になるために

 集団的自衛権問題で言えば、自分たちが米国に守られていながら、いざ米国が攻撃されても 「 憲法の制約があるから守らない 」 というのは身勝手そのものだ。 「 巻き込まれたくない 」 の一点張りで、けっして助けにはいかないが、自分がやられそうなときは 「 ぜひ巻き込まれて、助けにきてください 」 というのである。

 今回の事件と報道ぶりをみていると、日本はこれほどまでに内向きで、自分たちの事情でしか物事を考えられない国になってしまったのか、とがっかりする。

 どういう結末を迎えるにせよ、いずれ事件は決着するだろう。 そのとき、後藤さんさえ助かればハッピーエンドと言えるか。 とても言えない。 まずは迷惑をかけたヨルダンのパイロットがどうなるか。 私たちはそこを一番、心配すべきではないか。

 今回の事件が起きていなかったら、ヨルダンは自力でパイロットの解放交渉を続けていたに違いない。

 相手の立場を考えられないようでは、日本はとても国際社会で尊敬されるような国にはなりえない。 今回の事件は、日本と日本人が苦しいときにどれだけ周囲を考え、毅然としてふるまえるか、品性が問われる分水嶺である。


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