( 2017.02.25 )




「子どもの貧困」 は日本にも存在する

 「子どもの貧困」 と耳にすると、どこか遠い国の話題と感じるかもしれない。 しかし、子どもの貧困問題は経済大国日本においても確実に存在しており、拡大しつつある。

 現状を紹介するために、わかりやすいデータをいくつか示すところから始めたい。 わが国の子どもの貧困率は上昇傾向にあり、2012年は16.3%となっている。 すなわち、6人に1人の子どもが貧困状態にある計算となる。 子どもの貧困率とは、相対的貧困状態にある17歳以下の子どもの割合を指す。 相対的貧困とは、貧困ラインに満たない暮らしを強いられている状態である。 親1人、子2人のような3人世帯の貧困ラインは、 約207万円となっている。

 ここで不思議に思うかもしれない。 「207万円もあれば暮らせないこともないだろう。 仮に6人に1人の子どもが貧困状態にあるとしても、自分の周りにそんなに貧しい子どもはいない」 と。 まさにこの感想に、わが国の子どもの貧困問題の難しさがある。 一般の方々が考える 「子どもの貧困」 とは、食べるものに困り、着るものも満足にない、外見から判断して 「明らかに」 貧困とわかるような子どもである。 いわゆる 「絶対的」 な貧困である。

 しかしながら、日本でそうした貧困はあまり見ることはない。 日本における貧困問題は、あくまで 「相対的」 な貧困である。 とはいえ、生活費の高い都市部において、親1人子2人が17万円で生活するというのは決して簡単なことではなく、生活に余裕はない。 2014年の総務省家計調査によれば、大都市部の2人以上の世帯の平均消費支出は約30万円である。 月収17万円の場合、最低限の衣食住は満たされるかもしれないが、教育や将来への投資を行なうことは難しい。 その結果、彼らの将来の選択肢が狭められ、貧困の連鎖に陥る可能性を高めている。

 では、国際的に比較するとどうなのであろうか。 国内総生産でみれば、世界第3位の経済規模を誇る日本である。 多くの人は、日本は他国より貧困率は低いとお考えかもしれない。 しかし、日本は34ヵ国のうち上から10番目と高く、OECD平均を上回っている。 お隣の韓国はOECD平均を下回っており、子どもの貧困率は下から11番目である。


ひとり親家庭の貧困率はワースト1位

 子どもの貧困は子ども自身が貧困なのではなく、家庭の貧困によるものである。 そこで、ひとり親家庭の貧困率をみると、日本は50.8%となっており、OECDでワースト1位だ。

 一方で、日本のひとり親の就業率は母子世帯で81%、父子世帯で91%となっており、アメリカ74%、イギリス56%等と比較しても高水準にある。 就業率が高いにもかかわらず、貧困率が高い背景としてひとり親、特に母子世帯の収入が一般世帯に比べて低いことが挙げられる。 2011年度の全国母子世帯等調査によれば、母子世帯の平均年間就労収入は正規職員で270万円、父子世帯の場合は426万円という結果となっている。 男女間の賃金格差、職場復帰を促す社会インフラの不足等という社会構造的な問題が母子世帯をめぐる経済状況を厳しくしている。 日本では離婚等で母子世帯になった場合、高い確率で貧困状態に陥りやすいのが現実だ。

 ここまでは日本において子どもの貧困問題が存在し、いかに深刻であるかをさまざまなデータを引用し、紹介してきた。 経済大国というイメージの強いわが国で、子どもの貧困がこれほどまでに蔓延していることだけでも驚きかもしれない。 しかし、わが国における子どもの貧困問題で最も重要なのは、貧困が世代を超えて 「連鎖」 していることである。 お茶の水女子大学が2014年に世帯収入と子どもの学力の相関関係を分析した結果によると、世帯収入は子どもの学力と非常に高い相関関係にあるという。

 当然ではあるが、世帯収入の差によってもたらされる学力の差は、学歴の差として現れる。 生活保護世帯・児童養護施設・ひとり親家庭の進学率・就職率を全世帯平均と比較すると、高等学校等進学率はどのカテゴリーも90%以上であり、大きな差はみられないが、大学等進学率( 専修学校・短大含む )では全世帯平均が73.3%であるのに対し、ひとり親家庭は41.6%、生活保護世帯に至っては32.9%と半分以下の数字となっている。


やはり大卒はまだまだ有利だ

 学歴の差は収入の差となって現れる。 2015年賃金構造基本統計調査によれば、男の場合、大学・大学院卒のピーク時の賃金月額が約54万円であるのに対し、高卒では約35万円と1.5倍以上の開きがある。 また賃金カーブにも大きな差が現れており、生涯年収で考えると大学・大学院卒と高卒では大きな差が生まれる。

 これらのデータから、 「生まれた家庭の経済格差が教育格差をもたらし、将来の所得格差につながっている」 ことが推測される。

 では、貧困の連鎖は実際にどのくらいの規模で起きているのだろうか。 全国の実態を把握できるようなデータはないものの、関西国際大学の道中隆教授による調査によれば、ある自治体では生活保護を受けている世帯主の4分の1が、生家でも生活保護受給歴があり、母子世帯ではこの割合が約4割にもなるという。 ひとたび貧困層になると、世代が交代しても抜け出すことがいかに難しいかがわかっていただけると思う。

 ちなみに、 「生まれた家庭の経済格差が教育格差をもたらし、将来の所得格差につながっている」 という傾向は貧困層にだけ当てはまるものではなく、当然ながら高所得層についても同様の傾向が確認されている。 東京大学学生生活実態調査( 2014 )によれば、東京大学に通う学生の家計支持者のうち、54.8%が年収950万円を超えているという。 衝撃的な数字である。

 実は自身もひとり親家庭で育っている。 私が12歳の時に両親が離婚し、相対的貧困ラインぎりぎり、もしくは下回るような生活水準であった。 母、弟との一家3人の生活に経済的な余裕はまったくなく、衣食住に事欠くことはなかったものの、経済的な事情によってさまざまなものを我慢せざるをえなかった。 周囲との比較で幾度もみじめな思いをしたのを記憶している。


将来に期待することが難しくなる

 経済的な制約が長期間続くことにより、現実的な思考しかできなくなり、将来に期待するのは難しくなる。 生まれた環境によって将来が決まってしまうのだ。 そんな子どもが、日本には数多くいる現実を直視してほしい。 とはいえ、こんな感想を持たれた方も少ないと思う。 「貧困状態にある子どもは意外に多いらしい。 ただ、自分の周りにはそんな状態の子どもは6人に1人もいない。 だから、やっぱり実感が湧かない」 と。 当然である。 自分自身に関係してこないかぎり、どんなに深刻な問題でも実感が湧かないものである。 「ジブンゴト」 として捉えられないのである。

 そこで、子どもの貧困問題をより 「ジブンゴト」 にしていくために、日本財団子どもの貧困対策チームが考えたアイデアが、子どもの貧困が与える経済的影響の推計である。

 経済の問題は誰にとっても重要な問題であることは議論をまたない。 経済にマイナスの影響があれば、あなたの給料が減るかもしれないし、給料が減れば支払う税金・保険料も減少するため、政府財政にもマイナスの影響を与える。 子どもの貧困問題を放置することによって、貧困の連鎖がこのまま拡大すれば、貧困層が増えることで国内市場が縮小し、政府財政にも影響を与えることが予想される。

 0~15歳の子ども全員を対象として推計を行うと、所得の減少額は42兆9000億円、財政収入の減少額は15兆9000億円に達することがわかった。 2016年度の日本の国家予算( 一般会計 )は約97兆円である。 また、2014年度の日本のGDPは約490兆円である。

 つまり貧困状態に置かれた子ども全員が現状のまま放置されてしまうと、国家予算の約半分、GDPの約1割に匹敵する巨額の社会的な損失が将来発生してしまうのである。 こうした推計を目にすれば、とてもではないが 「ジブンゴトではない」 とはいえないだろう。





( 2017.03.27 )




 貧困の連鎖はどのように起きているのか?

 『 「子供の貧困」 は約43兆円の所得を吹き飛ばす』 では、子どもの貧困の社会的損失を推計するために、 「進学率や中退率を改善することで所得が向上する」 という日本の社会構造を前提に話を進めてきた。 しかし、さまざまな当事者たちにインタビューを行った結果、進学1つとっても学力以外の要素が大きな影響を及ぼしていることがわかってきた。 いったい、子どもの貧困問題、なかでも貧困の連鎖は、どんな構造によって起きているのだろうか。

 そこで大きなヒントとなるのが 「社会的相続」 という概念である。 社会的相続とは、明確に定義されていないが、 「 『自立する力』 の伝達行為」 と理解していただくのが良いと思う。 ポンペウ・ファブラ大学政治社会学部教授のエスピン=アンデルセンは、 「社会的相続は、所得と同等かそれ以上に重要である」 と指摘している。


【クリックで拡大】
 右の図表は、社会的相続を概念図化したものである。 親は子に対し、将来必要な自立する力をさまざまな形をともなって伝えていく。 子どもにかけるおカネ、子どもにかける時間、親の周囲との関係、親の生活習慣、親の価値観などだ。 もちろん、社会的相続の担い手は親だけではなく、親族や近所の大人、学校の先生や施設職員などの場合もある。 子どもはこれらを通じて、自立に必要な力を適正に、または歪んだ形で引き継ぐ。 この社会的相続は、家庭の経済状況等によって差が生じると考えている。

 たとえば、親がファストフード店やコンビニエンスストアなど非正規の職業を転々として働く姿を見ていたら、それが子どもの職業観につながるかもしれない。 また、母親がアルコールに浸り、一日中パソコンと向き合っていて、食事や洗濯などの家事を一切しないような状況下にいれば、規則正しい生活とは何であるかを知らないままに育ってしまうかもしれない。 児童養護施設で育った人からすれば、ほとんどの先輩が施設退所後に就職しているのが 「当たり前」 の世界であり、大学進学が選択肢に入らない可能性も十分にある。

 このように、貧困を背景に、社会的相続が歪められることで、子どもたちの自立する力が十分に身に付かず、貧困の連鎖を招いているのではないかとわれわれは考えている。

 一方で、不十分もしくは歪められた社会的相続は、第三者の助けによって取り戻すことができるかもしれない。 信頼できる第三者によって社会的相続を補完され、貧困の連鎖から抜け出そうとしている事例も多く存在する。 財産の相続とは異なり、社会的相続は1回限りではなく、適切な支援があれば、彼らの自立する力を高めることができるのだ。


自立する力にはどんなものがあるのか


自立する力の要素( 1 ) おカネ

 では、社会的相続が 「 『自立する力』 の伝達行為」 だとすると、自立する力にはどんなものがあるのだろう。

 まずは、おカネである。 おカネが 「力」 と言われると違和感があるかもしれないが、自立につながる重要な要素であることから、ここではあえて 「力」 の 1つとして整理したい。

 貧困と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは経済的な困窮、すなわち 「おカネがない」 という状態である。 おカネがなければ、さまざまなことにおいて制約をうける。 調査に応じてくれたある少年は、整髪料を買うおカネがなくて万引をしてしまい、警備員に手をあげたことがきっかけで少年院に入ることとなり、人生が一変してしまった。 またある少女は、学業と生活を両立させるため、短時間で高給を稼げる風俗の仕事をしながら、ギリギリの暮らしを迫られている。 おカネがなければ、将来的な自立を考える余裕がないのである。 政府が生活保護や児童扶養手当などの現金給付を重視しているのも、こんな背景からである。

 一方で、おカネがあるからといって、それだけで彼らの自立が約束されるかといえば、そんなに単純ではない。 調査の中でこんな話を伺った。 ある支援者が生活保護家庭の小学1年生の子どもに 「将来、どんな仕事に就きたい?」 と聞いたところ、その子どもは 「役所に行けばおカネがもらえるから、働かなくてもいいでしょ」 と答えたという。 子どもは親が生活保護費を役所から受け取ってくる姿を見て、そのように回答したのだと思う。

 このケースを聞いて、特殊な事例だとお考えになる人も多いと思う。 しかし、同様のエピソードは他のヒアリングでも確認されている。 誤解を招かないように申し上げるが、生活保護制度の利用そのものは、必要に迫られた場合であれば、何ら批判されるべきものではない。 問題は、子どもたちが 「職業選択の1つ」 として生活保護の利用を考えていることである。 現金給付を通じて、社会的相続が歪められていることがわかる。

 おカネは自立する力を構成する重要な要素であることは間違いないが、おカネだけで貧困の連鎖を断ち、自立を促すことはできないことがわかっていただけると思う。


自立する力の要素( 2 ) 学力

 では、自立する力にはおカネ以外にどんなものがあるのか。

 やはり学力の存在は大きい。 現在の行政施策でも、学力は重視されている。

 すでに述べたように、日本は学歴社会であり、学力が将来の所得を大きく決める要素になる。 家庭の経済状況によって教育格差が生まれないように、行政は就学援助や生活困窮者世帯向けの学習支援事業を行っている。 実際に多くの自治体において、無料の学習塾を開催しており、朝日新聞の記事によれば、調査に回答した479の自治体のうち、32.2%、およそ150の自治体がすでに学習支援を実施しているという。

 しかし、たとえ学習支援によって学力が向上したとしても、自立にそのまま結びつくわけではない。 高校は入学することも大事だが、自立という観点から見れば、卒業することのほうがもっと重要である。 実は、世帯別の経済状況でみると、高校進学率には大きな差はないが、中退率には大きな差があるのだ。 このデータだけ聞くと、 「経済的な事情で高校に通うことができなくなったのだろう」 とお考えになるかもしれない。 だが、政府は4000億円近くかけて高校の授業料を無償化している。 少なくとも制度のうえでは、たとえ経済的に困窮していたとしても、高校に通うことはできるのだ。

 そうなると、中退の原因は他にあるということになる。 学費を賄うための経済的な支援があり、一定の学力がある子どもが中退に追い込まれる背景には何があるのであろうか。 そして、それがなぜ経済状況でこんなにもばらつきがあるのだろうか。


自立する力の要素( 3 ) 非認知能力

 その問いに対して大いに参考になりそうな、興味深い海外の研究を紹介したい。 「ペリー就学前計画」 というアメリカの研究プロジェクトである。 この研究では貧困地域の子どもに対し、就学前教育を行い、その後の人生の推移について数十年にわたる追跡調査を行っている。 その調査結果の1つとして、学力以外の要因が高校卒業率を高めていることがわかった。

 この学力以外の要因は、 「非認知能力」 と呼ばれる。 非認知能力とは、国語・算数・理科・社会といった認知能力( いわゆる学力 )ではなく、意欲・自制心・やり抜く力・社会性などの認知能力以外のものを指す。 その範囲は広範であり、現行学習指導要領で掲げられる 「生きる力」 とも重なる部分が多い概念であり、昨今非常に注目を集めている。


成功を左右する、やり抜く力

 TED Talks において、800万回以上の視聴回数を誇る、ペンシルバニア大学のアンジェラ・リー・ダックワースによる 「Grit: The power of passion and perseverance」 では、次のようなことが述べられている。
「さまざまな状況において、ある 1つの特徴が大きく成功を左右していました。 それは社会的知性ではありません。 ルックスでも、身体的健康でも、IQでもありませんでした。 やり抜く力( Grit )です」
 先ほどの高校中退の問題に戻ろう。 高校を中退してしまう原因も、この 「やり抜く力」 に原因があるのではないかと専門家の間では考えられている。 日本財団子どもの貧困対策チームは、これを子どもが身に付ける機会が、世帯所得が低い家庭において不足しているのではないかと考えている。 「やり抜く力」 の社会的相続が不十分もしくは歪められて行なわれているかもしれないのだ。

 おカネ、学力、非認知能力。 これら3つの要素が子どもたちの自立には欠かせない。 これらの自立する力の社会的相続が不足ないし歪んでしまっている場合、第三者がいかに補完していくかが、経済的・社会的に不利な立場におかれた子どもたちの自立に大きな影響を与えると考えている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~