( 2018.02.08 )
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 いま欧米で話題になっている本がある。 それは、臨床心理学士でトロント大学教授のジョーダン・B・ピーターソンによる 『12 Rules For Life:An Antidote to Chaos』。 発売からおよそ2週間ほどで、早くもベストセラーになっているのだ( 2月5日現在、米国・カナダでAmazon総合1位、英国で2位 )。
 ジョーダン・B・ピーターソン教授は、学者なのにロックスターのような人気者でもあり、YouTubeでの講義動画は累計3500万回もの視聴数を記録している。

カオスを生きるための12のルールとは

 『12 Rules For Life』 の内容はタイトルの通り、処世術について。 聖書やニーチェ、ドストエフスキー、フロイト、ゲーテ、果ては陰陽道などからも引用しつつ、以下の12のトピックに分けて説いていく。


<ルール1 肩を丸めず、背筋を伸ばして立て>

<ルール2 自分のことを助けるべき他者とみなして扱うこと>

<ルール3 あなたに最善を尽くしてくれる友人とだけ付き合いなさい>

<ルール4 他の誰かではなく、昨日の自分自身と比較して成長を確かめなさい>

<ルール5 子供のことが嫌になるような振る舞いを自分の子供にさせないこと>

<ルール6 世界やシステムにケチをつける前に自らの行いを律しなさい>

<ルール7 その場だけの利益ではなく、意義深い理想を追い求めること>

<ルール8 真実を話す。少なくともウソはつかない>

<ルール9 いま話している相手はあなたが知らないことを知っているかもしれないという前提で接しなさい>

<ルール10 発言には正確を期すこと>

<ルール11 スケボーをしている子供の邪魔をするな>

<ルール12 道でネコに会ったらかわいがりなさい>


 しかし、ピーターソンは “これを守れば素晴らしい人生を送れます” などと甘いことは言わない。 実際、 「人生に幸福を求めることは無意味だ」 と断言している。 では、この12のルールは何のためにあるのだろうか? それは本書のサブタイトルが示す通り、 “人生というカオスへの解毒剤” としての心がけなのだ。


負けたぐらいでウジウジとしょげこむな

 たとえば <ルール1 肩を丸めず、背筋を伸ばして立て> では、ロブスターを例に、生物における勝者と敗者のシステムが説かれる。

 人間よりもはるかに古い歴史を持つロブスターの時代から、生物には勝ち組と負け組とに振り分けられる秩序が存在する。 戦いに勝った強いオスがより多くのメスと付き合い、居心地のいい住まいを確保する。 これは資本主義や共産主義などといった新しい言葉で都合よく説明できるものではなく、生物が避けて通れない摂理だと突きつけるところから始まる。

 しかし、その一方で、一時の勝者が永遠に勝ち続けられないのも自然の理であるから、たった一度負けただけでずっと敗者であるわけでもない。 生物を支配する巨大な摂理は存在する一方で、短期的な状況はいずれ変わる。 だからただ一度負けただけでウジウジとしょげこむな。 そのような姿をしている以上、他人はあなたを負け犬としてしか扱わないだろう。

 だったら人畜無害なお人好しでいるのはやめて、やり返せ。 それにはまず見た目から正してみたらどうだ。 ケンカに勝ったロブスターはどんな姿をしているだろう? 胸を張り、背筋を伸ばして立ち上がることだ、と発破をかけるのだ。


虚勢でもいいから機嫌よくいるのは「責任」

 もちろん、ピーターソンは “そうすれば勝てる” などと励ましているのではない。 もしかしたら、また敗れるかもしれない。 しかし、戦いに勝とうが負けようが、姿勢を正して立ち上がる意志を持つことが、この世に存在する責任を負うことなのだと言っているのである。 成果としてあらわれるかどうかは問題ではなく、それがこの世に生きている者の取るべき振る舞い方だというのだ。

 だからピーターソンは成功や失敗という言葉を一面的にしか解釈しない風潮に疑問を投げかけている。 成功といえば全てうまく行っていることしか意味せず、失敗とは回復不能なほど悪い出来事だと早とちりする。 このように語句が本来持つグラデーションを無視して、意味をデジタルに振り分けてしまうこと。 これがナイーヴで無粋であるのみならず、私達の生を不必要に不自由にしていると論じるのだ。
『この世界に存在するための方法はいくらでもある。 もしあるキャリアにおいて思ったような成果が得られなかったとしたら、別の道を模索すればいい。 あなたならではの長所、短所、立場にマッチする他の何かが見つかるだろう。
もしそれで解決しなかったとしても、あなた自身で新しい道を作ってしまえばいい。』
   ( p.88 RULE 4 Compare yourself to who you were yesterday, not to who someone else is today )
 先ほどのロブスターの話同様、これだって “そうすれば幸せになれる” といった話ではない。 しかし、たとえ報われなかったとしても、うなだれて打ちひしがれているのに比べたら、虚勢を張ってでも快活にしていた方があとあと良い思いができる確率は増すかもしれない、という程度の話なのだ。

 しかし、その差は大きい。 ウソでもいいから機嫌よくいることは、自分のためだけでなく、他者に余計な気を使わせないための気構えでもあるからだ。 それが個人が社会に対して取るべき責任なのである。


彼を “極右” と呼ぶ人もいるが……

 よって、この解毒剤は即効薬になるわけではない。 人はどれだけ良い行いをしたとしても報われるどころか、もっとひどい目に合うことだってある。 むしろ、そのような悲劇は往々にして起こる。 そして神が存在するとすれば、それは人々を救済するのではなく、不条理で無慈悲なイベントを気まぐれに起こす装置である。 そんな中で生きざるを得ない。 だからピーターソンは人生をカオスだと論じるのだ。

 にもかかわらず、生きている間は小さな善き行いを日々積み重ねていく以外の道はないというのが本書を貫くテーマだと言えるだろう。

 最後にそんなピーターソンの立ち位置を紹介しよう。 人文系の教員でありながら、 “フェミニズムや黒人研究のような新マルクス主義的ポストモダニズムの科目ばかりになってしまったから予算は削減されても仕方ない” と表明したことで、キャンパスでは学生による “反ピーターソン” デモが起こったという。 彼を極右と呼ぶ人さえいる。

 しかし、 “反フェミニズム” のフェミニスト作家、カミール・パーリアからは、 「マクルーハン以来、最も重要なカナダ人の思想家」 と評されている。

 思想の左右を問わず、全体主義的な思考から個人を守る道を模索しているピーターソンがこのように異端の存在であること自体、現代の混乱を象徴しているのかもしれない。


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