自分が間違っているのに決して非を認めず、他人のせいにする人がいる。 自らを守ろうとするあまり、暴言を吐いたり、言いがかりをつけたりする。 「私は悪くない症候群」 とも呼ばれ、攻撃的な行為に出ることも珍しくない。 なぜ、このように非常識な行動をする人がいるのか。
![]() その最たるものが今年7月、「障害者が安楽死できる世界を」 という主張を正義だと信じ、相模原市の知的障害者施設を襲撃した容疑者の男でしょう。 この事件には戦慄を覚えましたが、これほど衝撃的ではないにせよ、「自分が正しい」 「私は悪くない」 と疑わず、他人を攻撃する人は至るところにいて、さまざまな騒動を巻き起こしています。 |
![]() ある会社には、自分が仕事でミスするたびにこう言って逆ギレする新入社員の女性がいるそうです。 この新入社員は、手取り足取り教えてもらわないと、仕事ができません。 また、何事にも受け身で、自分で工夫して仕事をする気は毛頭ありません。 いわゆるホウレンソウ( 報告・連絡・相談 )ができないため、周囲に迷惑をかけるのですが、その自覚も当人にはまったくありません。 そればかりか、ちょっと厳しく注意されると、涙ぐみながら 「それってパワーハラスメントじゃないですか」 と訴えるので、上司は何も言えなくなるのです。 もちろん、パワハラは許しがたい行為です。 しかし、企業でメンタルヘルスの相談を受けるたびに感じるのは、自己正当化するために 「パワハラだ」 と言い立てる社員もいないわけではないということです。 そういう人に限って、「仕事がうまくいかないのは、自分の努力や能力が足りないせいではない」 などと主張するのです。 |
別の会社では、20代の男性社員の対応がつたなかったため、取引先からクレームを受けたことがあったそうです。 このことで課長から叱責を受けた男性は、激しく反論しました。 「クレーマー体質の取引先を自分に押しつけた課長が悪い!」 「上司の立場を利用したパワハラだ!」 このように、大袈裟おおげさに騒いで難を逃れようとすることが頻繁にあったため、人事部でも問題になりましたが、誰も厳しく注意することができません。 この男性社員が受診した心療内科から、「抑うつ状態」 という診断書をもらっており、そこに 「配慮を要する」 との記載があったためです。 男性社員は、この診断書を盾に、自分のイヤな仕事も残業も一切しませんでした。 そればかりか、繁忙期に限ってうつを理由に半月ほど休むこともありました。 にもかかわらず、休んでいた間に海外旅行に行っていたようで、その写真をフェイスブックにアップしていました。 診断書は、この男性社員の自宅近くの開業医から出されたものでした。 そこで、私は 「国公立の病院を受診してセカンドオピニオンを聞いてくるように」 との助言を人事部を通じて伝えました。 新たな診断書の提出はなかったものの、勤務態度は多少改善しました。 「パワハラだ」 などと騒ぎ立てることもなくなったとのことです。 |
【対処法】事実確認が大切
パワハラと訴える人がみな 「過剰防衛」 だと言うつもりも、うつや自律神経失調症などの診断書を提出している人がみな 「詐病」 だと決めつけるつもりもありません。
ただ、中には、 「パワハラ」 を錦の御旗みはたにしたり、心の病を言い訳にしたりする人もいます。
まずは、事実確認をしましょう。 そのうえで、パワハラや心の病によって本人が実際に困っているのなら、職場環境や仕事内容を調整しなければなりません。 しかし、診断書などで事実確認ができない場合、 「特別扱いはできない」 ときっぱり伝えることも必要です。
![]() 一瞬、返答に窮した私に対して、彼は突然怒りだしました。 どこかの県警で警察官が逮捕されたというニュースを思い出したようです。 「警察官は犯罪者ばっかりやないか。 それなのに、何もしていない普通の市民を厳しく取り締まるなんて許せない!」 この手の話は、タクシーの運転手からも聞いたことがあります。 高齢のお客さんの指示が二転三転したため、ある時間帯だけ進入禁止となっている道路に入り込んでしまったところ、すかさず警察官がやって来て交通違反で罰金になったのだとか。 これに、怒りを抑えきれなかった運転手は思わず、 「警察は犯罪者ばっかりやないか」 と叫んでしまったそうです。 |
私は若い頃、警察病院に勤務していた経験があり、目を疑いたくなるようなモラルの低い警察官がいたことも記憶にあります。 ですから、警察の不祥事が報道されるたびに、私も 「警察は犯罪者ばっかりやないか」 という暴言を吐きそうになるのですが、そういうときは仕事でお世話になった警察官の顔を思い浮かべるようにしています。 「真面目に頑張っている警察官もいるのだから、十把一からげにするような言い方はやめよう」 と自分に言い聞かせるのです。 残念ながら、この乱暴な 「十把一からげ」 が、最近蔓延まんえんしています。 「公務員は、いい給料をもらっているのに働かない人ばかり」 「教師は、いじめに対して見て見ぬふりする人ばかり」 「生活保護受給者は、働けるのに働かない人ばかり」 この手の十把一からげの論法で激しく攻撃する人が増えているように見受けられます。 こうした言い方にどれだけの正当性があるのかははなはだ疑問です。 身を粉にして働いている公務員もいれば、いじめと真摯しんしに取り組んでいる教師もいます。 また、病気や障害で働けずに困っている生活保護受給者も少なくありません。 |
【対処法】そんな人ばかりじゃない
「○○は××ばかり」 という論法で攻撃する人がいたら、「そんな人ばかりじゃないですよ。 いろいろな人がいますから」 と冷静に諭しましょう。
また、自分自身が十把一からげにして攻撃するようなことをしていないか、常に省みることも必要です。
![]() 当然、不倫が報じられた有名人に対する世間の怒りや攻撃もすさまじかったのですが、そういう世間の反応に私は違和感を覚えずにはいられませんでした。 というのも、不倫は夫婦間の信頼関係を損なう行為なので、浮気が発覚したら、配偶者にきちんと謝罪して、できるだけの償いをしなければならないとはいえ、そういうことは当事者同士の話し合いに任せるべきだと私は考えているからです。 あくまでも夫婦の問題であり、赤の他人がとやかく言うことではないというのが私の持論です。 ところが、不倫とは直接関係ないはずの世間が激怒しているのが現状です。 不倫が明るみになった夫を許し、結婚生活を継続すると発表した妻に、 「なぜ許すんだ」 と怒りの矛先が向けられたケースもありました。 不倫の当事者ではない世間が怒るのはなぜでしょうか? このような怒りの根底に潜んでいるのは一体何なのでしょうか? |
![]() 「羨望というのは、他人の幸福が我慢できない怒り」 と、17世紀のフランスの名門貴族、ラ・ロシュフコーは指摘しています。 たしかに、自分がやりたくてもやれないことや、やりたいのに我慢していることを他の誰かが易々やすやすとやってのけると、他人の幸福が我慢できない怒りを抱くようなところが人間という生き物にはあります。 当然、不倫願望を心の奥底に秘めていながら、我慢せざるをえないとか、実行に移せないという人ほど、他人の不倫を激しくたたきます。 有名人の不倫ともなれば、その人が手にしている 「成功」 「名声」 「富」 などに対する羨望もあいまって、これでもかというくらい世間は鋭い牙を向けます。 まるで、ステージから引きずりおろさないと気が済まないようにさえ見えます。 不倫という他人の悪を徹底的に攻撃することで、自分はそんな悪い性向など持っていないかのように振る舞う人もいます。 特に、誠実であるべき配偶者の前で、他人の不貞を攻撃すれば、自分には不倫願望のようなやましい欲望などないのだと自己正当化できるわけです。 |
【対処法】色恋に口を挟むのは野暮
不倫は悪という正義を振りかざして攻撃する人の根底に、このようなメカニズムが潜んでいることに気づけば、テレビやインターネットで盛んに取り上げられる不倫騒動にも冷静なまなざしを向けられるのではないでしょうか。
少なくとも、他人の色恋にあれこれと口を挟むのは野暮だと肝に銘じるべきです。
とにかく、もっともらしい正義こそ要注意です。 たとえば、 「家族は、互いに助け合わなければならない」 という主張は美しい理想のように聞こえるかもしれません。 しかし、フランスの家族人類学者、エマニュエル・トッドが見抜いているように、 「 『家族』 というものをやたらと称揚し、すべてを家族に負担させようとすると、それが重荷になってかえって非婚化や少子化が進み、結果として 『家族』 を消滅させてしまう」 恐れがあります。 結局、 「家族の過剰な重視が、家族を殺す」 ことになるわけです。 正義を声高に叫ぶ人の胸中には、しばしば、思惑、怒り、恨みなどが渦巻いていることを忘れてはなりません。 そういう正義の 「正しさ」 を疑わず、うのみにしていると、とんでもないことになりかねません。 ですから、一見もっともらしい正義がはらむ危うさを見極めて、振り回されないように注意しましょう。 |