( 2013.10.29 )





 いわゆる婚外子相続格差違憲判決で、私は驚いたことが2つある。 ひとつは、大法廷に揃った14人の最高裁判事が全員一致でこれを 「 違憲 」 としたことであり、もうひとつは、大手新聞が、一紙の例外もなく、この判決を 「 支持 」 したことだ。
 エッと思ったのは、私だけかと思ったら、そうではなかった。 時間が経つにつれ、 「 これはおかしい 」 という声が出始めた。 不倫を助長するのか、あるいは、日本の伝統的家族制度を破壊するのか …… 等々、さまざまな議論が湧き起こっている。
 だが、私の感想は少々違う。 私は直感的にこの違憲判決は 「 おかしい 」 と思った。 理由はただひとつ、 「 日本人の長年の英知を否定するのか 」 ということである。
 ああ、これで、 「 遺産相続で泣く人 」 はどのくらい出るのか、と私は思った。 不倫の良し悪しや、婚外子への差別などということではなく、私は、結婚をしていない男女の間に生まれた婚外子の相続分は、法律婚をしている夫婦の子( 嫡出子 )の相続分の 「 2分の1 」 と定めている日本の民法が、実に英知を結集したものであると思っていたからだ。
 大金持ちでもない限り、だいたいどんな男でも生涯が終わる時、家を一軒持つのがせいぜいだろう。 不倫の末に婚外子をもうけたとしても、 「 色男、金と力はなかりけり 」 というのが通り相場だ。




 その婚外子に対して、嫡出子の相続分の 「 2分の1 」 としてきたのは、長い間の経験則によるものだと思う。 それは、この割合が、長年住み慣れた家に、ぎりぎり 「 残れるか、残れないか 」 という微妙なものだからだ。
 生涯で家を一軒持った男の場合、仮にその嫡出子と婚外子との間の相続分が 「 1対1 」 になったとしよう。
 それは、イコール 「 家の売却 」 を意味する。 もし、本妻が生きていた場合、2分の1をまず本妻がとり、嫡出子と婚外子が、その残りを平等に分け合うとするなら、それは家を売却して現金化するしか方法がなくなる。 本妻がすでに死亡していれば、なおさらだ。
 では、婚外子の相続分がこれまで通りの嫡出子の 「 2分の1 」 だったらどうだろうか。
 これは、現金をなんとかつくって、家を売却しなくて済むぎりぎりだろう。 これが、私が 「 日本人の長年の英知 」 という所以である。
 普通の家庭では、父親が亡くなった場合、残された妻と、家に住んでいる子供がそのまま家を相続して、他の子供たちは相続を放棄するケースが多い。 それが、 「 家を守る 」 ということだからだ。 しかし、婚外子がいた場合、相続を放棄する可能性はほとんどなく、さらに、これまでの 「 2倍 」 を相続させるためには、やはり 「 家を売らなければならない 」 ケースが飛躍的に増えるだろう。




 私は、今回の判決は、日本で 「 法律婚 」 ではなく、 「 事実婚 」 が促進されるきっかけになる歴史的なものだと思う。 いや、これをきっかけに日本は不倫にかぎらず、 「 事実婚 」 の天下となるだろう。
 たとえば、現行の制度では、事実婚の夫婦には、不妊治療の助成金を出さない自治体がほとんどだが、今後は、 「 助成金を出せ。 出さないなら、法の下の平等に反する 」 と訴えられるケースも出てくるに違いない。
 すなわち 「 法律婚 」 と 「 事実婚 」 の差はなくなり、その点において、わざわざ 「 法律婚 」 を選択する意味がなくなるのである。
 現在、日本の婚外子は全体の2.2%に過ぎないそうだが、ゆくゆくは欧米並みの40%に近づく時代が来るだろう。
 それが、人間の 「 平等 」 というのなら、これほどヘンな 「 平等 」 はあるまい。 遺産相続の時、長年住み慣れた家を追われ、現金化しなければならない時代は、文字通り、日本の伝統や家族というものを破壊する。




 私が判決に違和感を抱くのは、冒頭に挙げたように、最高裁判事が全員一致で違憲とし、大手新聞がすべてこれを支持したからだ。 平等の概念とは本来、崇高なものであり、なんでも 「平等」 を訴えて権利ばかりを主張する風潮に、最高裁も、そして大新聞も、毒されている ことへの違和感にほかならない。
 それは、 「 偽善 」 と言い換えてもいいだろう。 達せられることのない 「 平等 」 のために、本来守られるべきものが守れられない本末転倒の判決だったと言うべきかもしれない。
 かくて伝統的な家族制度は壊され、グローバル化された 「 国際社会 」 が日本にやってくることに、私は溜息を吐く。
 「 それ、差別だからね 」 「 それは平等に反するわ 」 ── そんな偽善に満ちた会話が飛び交う社会を見たくないのは、私だけだろうか。