何を変えるべきなのか

 アメリカのオバマ新大統領はしきりにアメリカの変革を説くが、一体何をどう変えようとしているのだろうか。

 世界全体に大迷惑をかけているアメリカ発の経済不況は、そもそもアメリカ社会に定着した、クレジットカードでの先物買いの我が身の分際も心得ぬ贅沢志向によるもので、それが住宅に関するローンの罠、サブプライム・ローンの大破綻となり大きな引き金を引いてしまった。

 アメリカの経済、財政は実は際どい虚構の上になりたっているのだが、誰もその虚構の淵を覗きこもうとはしていない。 レーガン時代アメリカは大転換を図って社会保障の財源をすべて投資信託の利益に負うことにしてしまった。 つまり株の売買の上がりで福祉を支えるということで、そのためにはウォールストリートでの活況を維持しなくてはならない。

 そのために世界の金をアメリカに呼び込み、それを回すことでのマネーゲームで利益を上げる。 そのためにもさまざま工作して外国にアメリカの国債を買わせ続けた。

 これに乗ったのが日本そして中国で、政府に尻を叩かれて日本の民間企業が買いこんだ額を加えると日本がかかえているアメリカ国債の額は天文学的なものとなるはずだが、政府は何に気遣ってかいまだにその総量を明らかにしない。

 これは、こちらにとってもあちらにとっても危うい話で、アメリカが印刷し続けるドル札はいつか飽和になって信用が落ち価値を失って紙屑になるやも知れぬのに、それを信じ続けろというのではたまったものでない。

 もう十年ほど前、当時の橋本首相がニューヨークで講演した際、日本も財政困難なのでアメリカの国債を少し売りたいのだといった途端、それまで右肩上がりで伸びていたウォールストリートの株が翌日五パーセント下落してしまい、皆して慌てて橋本の口を塞いだものだった。 あの出来事は実に象徴的でアメリカの財政の虚弱性を強く暗示している。

 それにしてもなおアメリカの財政運営はドルの印刷に拍車をかけ、国際経済の決済マネーとして多量に刷りだされる金は今では世界全体の国内総生産GDPの数倍ということで、物の実質的な生産に関わりない金がそれだけの量溢れて世界に流れ出しているというのはどう考えても不健全、不自然な現象でしかない。

 設備を備え、それを動かして物を作り出し、製品を売って儲けとするという人類が過去から長く踏襲してきた商いの形を変えてしまい、多額の金をあやつり、いかなる物を作りだすこともなくより多くの金を編み出すというマネーゲームなるものの非生産性は、そうしたゲームにたずさわる限られた者たちには利益をもたらしても、実はもっと本質的な大切なもの、人間の『実直さ』というものを毀損してしまう。 アメリカが声高に唱え周りにも押しつけてきた市場原理主義なるものの実態はそれでしかない。

 いつか日本にやってきたアメリカのあるファンドの若い代表がある優秀な工作会社の年配の社長に、会社にとって大切なものはあくまで株主であって、その利益のために株を解放すべきだとしきりに説きつけ、それに対して老社長が、 「 私はそうは思わない。 会社にとって大切なものは社員とその家族、そして開発してきた技術だ。 故にも株の解放は絶対にしない 」 とつっぱねるのをテレビで見てむべなるかなと共感したのを覚えている。

 オバマが主唱するアメリカの変化とは、今日の経済不況を招いたアメリカ経済の浮薄な虚構の変革であるべきに違いない。 そしてさらにその根底にある、アメリカ国民のローン操作による身分不相応な贅沢志向の淘汰であるべきだ。 しかし、はたしてそれが可能なことだろうか。

 世界最大の消費国としてのアメリカの存在とその吸引力は、実はそうした虚構の上に成り立っていて、世界もまたそれに依存してきたのだった。 文明の進展は人間全体に分際不相応な繁栄をもたらしてきたということだ。

 そうした根源的な問題の変革の歴史的必要性は他にもある。 しかし歴史の推移の中で培われてきたそうした根源的な矛盾はそう簡単に変革されはしまい。 しかしそれを悟らぬと取り返しのつかぬところまで我々は自分を追いこんでしまったのだ。

 例えば台頭しつつある中国やインドといった途上国が、そのステイタスシンボルとして膨大な国費をかけて軍備を拡張している様は、地球の文明がさしかかっているその末路との兼ね合いでほとんど無駄な試みとしかいいようない。

 人間の存在の舞台であるこの地球が、環境破壊とそれによる異常気象の進展が証すように実は破滅に向かって刻一刻進みつつある今、統計から割り出せば、僅か一秒間に、円に換算すれば320万円もの軍事費が使われているという現実の無意味さ。 核を含めて強力な軍事力の保持こそが国際関係の中で有効なカードとしてまかり通るという従来の国家経営の原理は、人類そのものの存在が毀損されかねない地球の現況の中では、もはやかつて世界の中でまかり通ったようには通用しまいに。

 毛沢東はその方法論 『 矛盾論 』 の中で、現実の矛盾の真の解決のためには、それを派生している根源的な矛盾 「 主要矛盾 」 への認識がなくして真の改革、真の革命はあり得ないと記しているが、今さらいささかの書生論にも聞こえようが、アメリカ人を含めて我々が今この複合的な難局の打開に必要とするものは、正当な文明批判を踏まえた自己批判に違いない。

 それはいうには優しいが、物事の正確な認識。 それを踏まえた着実な実践は、実は我々白身の目先の経済的欲望にはばまれ至難なことだろう。 しかしそれ無くして我々は我々自身の近い将来を救うことも出来はしまい。