〈 私が遠くまで見ることができたのは、巨人たちの肩に乗っていたからです 〉
中村教授( 青色LEDの発明者・ノーベル物理学賞受賞 )は天才である。
11月20日付の 朝日新聞 に全段ぶち抜きで掲載された意見広告は一種異様だった。 特許法改正に猛反対する中村修二教授の自説とともに、彼を礼賛する仲良し弁護士の言葉が並んでいたのだ。彼に対する違和感は増すばかり ……。
これは天才物理学者ニュートンの言葉である。 「巨人」 とは、ガリレオやケプラーなどの偉大な先人のこと。 彼らの研究成果があったからこそ、自分は発明を得たのだという謙遜の辞だ。 翻って、今年、ノーベル賞の栄冠に輝いた我が国の受賞者たちは、どういう心境で授賞式に臨んだのか。
中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授( 60 )がこれまでメディアで述べてきた発言である。 彼は受賞発表日の会見でも、 「( 研究の原動力は )怒り」 と言い放ち、かつての勤務先、日亜化学工業への不満を露わにしていた。 発明対価200億円を求め、同社を提訴し、最終的に和解で8億4391万円もの報酬を手にしたのはご承知の通りだ。 数学者、藤原正彦氏はこう嘆く。 「記者会見で特許やベンチャービジネスなど、お金絡みのことや、自分一人で研究を実現したという話を前面に出す研究者が、日本から出てきたことには本当に驚きました。 これまでのノーベル賞受賞者は、会見で、自分を育ててくれた故郷について語ったり、学校の恩師や、大学や会社の研究仲間に謝辞を述べるのが普通でした。 天野先生は受賞の際に “自分でいいのか” と当惑していましたし、赤崎先生も研究を支えてくれた仲間たちに感謝を述べていた。 そこが研究者としての品格です。 本人と日本のためを考えても、彼の会見が全世界に放送されてしまったことが残念です」確かに、彼はお金に強い拘りを持っていた。 曰く、 「日本の研究者はサラリーマンで、研究の自由も、十分な対価も得られない不当な扱いを受けている」かように中村教授は日本の研究環境そのものをこき下ろす。 その日本で、来年、特許法改正の動きがあり、特許をこれまでの 「社員個人のもの」 から 「会社のもの」 にするという改正案が国会で審議される予定だ。 むろん、中村教授は黙っていられない。 これに 「猛反対」 として、彼が世に問うたのが、朝日新聞への意見広告だったというわけだ。 広告には、日亜との訴訟で代理人を務めた升永英俊弁護士も名を連ね、寄稿。 そこで中村教授が訴えた内容は、 〈 サラリーマンが可哀相ではないか! 不条理である。 ( 中略 )若者の夢を奪う愚策である。 ( 中略 )会社が富を生む発明の発明者に、発明が生み出した富( =【 超過利益 】 )の一部を支払えば、サラリーマン技術者は、目の色を変えて、富を生む発明をしようとするだろう 〉一理あるかにも見えるものだが、奇異に映ったのは、これと並んだ升永弁護士の主張だ。 大要曰く、 〈 青色LEDの貢献度は、過去の全ノーベル賞受賞者( 487人 )の発明・発見の総合計の貢献度と比べて、天文学的に大である。 ( 中略 )ニュートン、エジソン、アインシュタイン等々は、天才である。 中村教授は、天才である。 中村教授単独発明の青色LEDの輝度は、赤崎教授、天野教授共同発明の青色LEDの輝度の100倍位であった 〉鼻白むほど異様に中村教授を褒め称えるのである。 |
そもそも、中村教授が再三、主張してきた 「日本では企業に所属する研究者は冷遇されている」 「アメリカでは高額報酬が当たり前」 なる旨の持論は正しいのか。「中村教授のように企業に属しながら、巨額の追加報酬をもらった研究者は、日本どころか、アメリカでも見たことがありません」と語るのは、志村史夫静岡理工科大教授・ノースカロライナ州立大併任教授だ。 「私自身、NECに勤めた時代に半導体関連の特許を取り、製品にも応用されていますが、貰った報酬は社長賞の2万円だけ。 それでも不満などありません。 なぜなら、給料を貰って好きな研究をしていたからです。 日本では研究成果が何も出なかったからといって、給料を返せとは責められない。 その間に使用した設備も研究費用も会社が負担したものです。 成果を自分のものにしたいなら、最初からリスクを取って、独立して研究すればいい。 一方でアメリカほど実力主義の国はない。 民間の研究所であれば、成果を出さないと、容赦なくクビにされます。 むしろ日本の方が天国ですよ」法的にはどうか。 米国特許弁護士で、法務博士の服部健一氏の解説を聞こう。 「アメリカでは、自分の発明がどれだけ会社に利益をもたらしたとしても、それに見合う報酬を手にすることは絶対あり得ません。 というのも、研究者が会社に就職する際、研究の結果、特許取得などで利益が発生しても、その権利は会社に帰属するという契約書にサインさせられるからです」米国カリフォルニア州弁護士で、特許法に詳しい田中朋之氏も、 「日本は基本的に終身雇用が約束され、昇給や昇進という形で利益が還元されます。 中村さんは裁判が和解に終わった後、 “日本の司法制度は腐っている” と発言しました。 米国ならもっと自分に有利な結果になったはずだという意味の言葉と思われますが、現実は真逆です。 アメリカでは入社時の契約で縛られるから、たとえ億単位の巨万の富を会社にもたらしても、発明者である社員には一銭も入ってこない。 もっとも実際には、報奨金の出るケースが多いですが、それが1ドル以下でも問題にされないのです。 数年前に聞いた話ですが、あのマイクロソフト社ですら、社員が特許を出願した際に1000ドル、それが成立した時にさらに1000ドル程度しか報奨金は出さないとのことでした。 ですから仮に中村さんが同様の裁判をアメリカで行ったとしても、追加報酬はゼロだったはずです。 むしろ日本の司法制度に感謝すべきなのです」実態は、中村教授が言うところと、まるでかけ離れていることが分かる。 彼の見解や意見広告の趣旨について、升永弁護士に尋ねたが、 「現在、一切時間がとれず、取材をお受けできません」先の志村教授が訝る。 「そもそもLEDは、最初に赤色の革命的な光源を発明したニック・ホロニアック・イリノイ大名誉教授の研究から全てが始まっている。 意見広告で弁護士さんが 『中村教授単独発明の青色LED』 という文言を使っているが、これでは彼一人の力で発明したかのようなミスリードを招きます。 ニュートンの名言にあるように、中村教授もまた偉大な巨人たちの恩恵を受けた一人なのです」それを無視し、自分の貢献度を主張する姿勢には違和感を覚えざるを得まい。 |
「こういうのを、 『後の祭り』 『下衆の後知恵』 というんですよ。 少なくとも私は、聞いてていい感じを受けなかった」 作家の吉川潮氏がこう言った。 清原容疑者が覚醒剤取締法違反で逮捕されたのを受けて、4日に “盟友” の桑田真澄( 47 )が会見。 「2人で力を合わせて野球界に貢献できる日を心待ちにしたい」 などと話したことに対する吉川氏の感想である。 4~5年前から、清原に関する良からぬウワサが耳に入るたび、本人に忠告を続けていたという桑田は、 「小姑のように言い続けた。 それが言えるのがボクだと。 ただ、小言を言われるのに嫌気が差したんでしょうね。 ( 清原から ) 『一切、関わらないでくれ』 と言われた」 とのエピソードを明かし、それが原因で3年前に決別して以来、絶縁状態だったと告白。 神妙な表情で 「もうちょっとボクが言い続けた方が良かったのかな」 と悔いてみせたのだが ……。 「事が起きてから、いろいろ言ったって、意味はない。 清原から、関わらないでくれ、と言われたのだとしても、恩師や他の友人などの力を借りてなんとかするのが、本当の友達ってもんでしょう。 放っておいてくれ、そうか分かった、と手を引いたんじゃ何もやっていないのと同じです。 要するに、実際の2人は友達でも盟友でもなんでもなかったということなんだろうね。 図らずも、それがよく分かりました」 ( 前出の吉川氏 ) そもそも2人は、85年のドラフトでその関係にヒビが入った。 PL学園のエースだった桑田は早大進学を表明。 ところがいざ巨人に単独1位指名されると手のひらを返して巨人入り。 当時の王監督からサインをもらい、巨人からの指名を信じていた清原が涙を流した姿はよく知られている。 このドラフトが清原の人生に最初に影を落としたとすれば、そのキッカケをつくったのが桑田だろう。 吉川氏は 「2人は友達でもなんでもなかった」 との印象を持ったと言ったが、実際、清原は13年10月の日刊スポーツのコラムで、桑田への複雑な思いを吐露している。 「ドラフト当時は、桑田に対して思うところはあった。 正直、憎かった時期もある」そう正論を並べ、桑田の偽善や自己中心的な言動を批判している。 桑田は、小言を重ねて清原に煙たがられたと言ったが、むしろ清原が愛想をつかしたのだ。 覚醒剤に手を出した清原に言い訳の余地はないが、それでも清原逮捕の報に接した球界OBや、かつてのチームメートは一様に言葉を選んでいる。 それがかつての仲間へのせめてもの思いやりというものだろう。 「まったくです。 桑田は 『みんなで彼を支えることも必要』 と清原の更生に力を貸すようなことも言ってましたが、そういうものは報道陣の前で公言してするものではない。 陰から見守り、人知れず手を貸してやるもの。 桑田の言葉からは、自分をいい人に見せようという思惑が透けて見えるようで、残念でしたね」 ( 前出の吉川氏 ) これが、まっとうなファンの感想だ。 |