( 2016.10.24 )

     


 「私、このたび青天の霹靂でまったく経験のない営業課長を拝命いたしました。 もともと製造畑ですので何もわかりませんが、皆さんのご協力を得て、業務をまっとうしたいと思います」

 大変迷惑な話だが、定期異動の季節になると、こういう挨拶を聞くことになる。

 ジョブローテーション(*)は、 「人材育成上、価値あることだ」 ということになっている。 まったく知らない世界( 部署 )で異文化に触れ、これまでとは違うスキルを身につけ、幅広い見識をマスターすることができる。 それまで仕事の相手であった 「向こう側」 の業務のメカニズムを知ることで、自分が今までしてきたアクションがどのように受け止められるのかを肌感覚で知ることもできる。

 さらに、全社的にジョブローテーションを行えば、自然と人的ネットワークが広がる。 知り合いが増えるだけでも 「頼みやすい」 関係が生まれるし、たこつぼで 「個別最適化」 になりがちなところを、お互いの利害関係を整理した 「全体最適化」 につなげることができる。 すると、仲間意識が生まれ、会社としての調整力も上がる。 このようなメリットを見るならば、誰でもジョブローテーションは素晴らしいものだと感じるだろう。

 しかし、 私はジョブローテーションを基本的にあまり肯定しない立場である。 実際のところはどうなのか。 若手、中間管理職、経営幹部と、3つにわけて考えてみよう。
   ( * : ここでは、数年ごとに関連の少ない別の職務を経験させること、という意味で使っている )




 まず若手の異動の場合、たまたま配属された業務が適任であるのかわからないので、ジョブローテーションはいろいろな可能性を試す上でも良いだろう。 いろいろな経験を得ることも重要だ。 社内に様々な人的ネットワークを作ることができる点でも良い。 その業務だけを続けている人には後れを取り、専門性を極めるうえでは多少遠回りになるが、そこで負けないように頑張るのも能力アップにつながる。 つまり、若い人のジョブローテーションには意味があるといえると思う。

 次に経営幹部の場合、戦略とゴールを定めPDCAサイクルを方向づけるのが仕事だから、そこにいる管理職を使いこなすことができる人物なら、ジョブローテーションを有効活用することは可能であろう。 当該分野に対しての実務経験自体はなくとも、大局観と意思決定力があれば、機能する。もともと日々のビジネスは幹部が何もせずとも廻っていく。 他分野での知識や手法を持ち込むこともできるので、この人事異動もありえるだろう。

 困るのが、管理職のジョブローテーションである。 管理職はかなり実務的なレベルで、 “具体的” に何をどうするかを定め、問題があればどのように対応するかを “具体的” に指示し、誰に何をやってもらうかを “具体的” に定めなければならない。 その上で、状況を上に対して適切なタイミングで報告し、場合によっては必要な経営資源を獲得しなければならない。

 ところが、残念ながらジョブローテーションでやってきた上司は、着任後しばらくは具体的な話になると手も足も出ない。 必死で勉強すれば3ヵ月後くらいには “それっぽく” 話ができるようになり、半年後には管理職としてそこそこ機能するようになる。 しかし、一般的な管理職は、さらにその半年後には次の異動を考え始めるため、新しいことには積極的に取りくまなくなる。 そもそも、必死で勉強して機能する管理職など絶望的に少ない。 そして、2年~3年後には、また別のところにいってしまう。

 このような 「腰掛け管理職」 は仕事を進めていくうえでの障害でしかない。 にもかかわらず大手企業や役所では、いまだにこういったジョブローテーションが行われている。

 そして、この 「腰掛け管理職」 が来た部署は、間違いなく残業が多くなる。 内容をよくわかっている管理職なら20秒の立ち話でOKというレベルの話が、 「ちょっと資料にして説明してくれる?」 となり、基礎的な情報からレクチャーをしなくてはならない。 管理職がさらに上に報告をする場合などは、資料作成だけにとどまらず、上司が間違わないようにプレゼンの訓練につき合い、他者から質問を受けた場合のために想定問答集を作って手渡し。 それでも不安なので、その会議に補佐役として同席し、質問に立ち往生してしまった場合は、 “補足” という名目で代わりに質問に答える …… といったことまでやらなければならないのだ。

 自分ひとりではモノを決めることもできないから、いきおい会議で “衆知を結集して” 決めようということになる。 会議を開けば、その規模が大きければ大きいほど業務について知らない人も入ってくるため、全員にわかる資料を …… ということになる。 すると、資料はどんどん厚いものになり、図解なども入れる羽目になる。

 このように、ジョブローテーションで素人上司がやってきたら、しなくてもよい仕事が増える。 1つのOKをとるために、20秒が20時間になるくらいの差が出てしまうのだ。




 いま日本社会は、会社で長時間働くことをやめよう、という方向になっている。 そこで在宅勤務やフレックスタイムが取り入れられるのだが、これらが導入されてくると、 “社員同士が長時間オフィスで顔をそろえて一緒に仕事をする” という時間が格段に減ってくる。

 これまでなら、腰かけ管理職が多少矛盾したことを言っても、社員同士が勝手に話をして、調整して仕事を進めることができた。 近くにいれば、他人の仕事にも目がいくからだ。

 今後、社員同士が顔を合わせない時間が増えると、自動調整機能は働かないため、結節点にある管理職が適切に仕事を配分し、利害調整をし、危機管理を行い、さらにひとりひとりの能力開発をやらなければならない。 こうなった場合に、実務的知識がなく土地勘のない素人管理職にいったい何ができるのだろうか。

 また、皆が集まって大事なことを決める貴重な時間としての会議において、素人向けのレクチャーなどやる時間もない。 重要な議論は何なのか、何を争点として議論するのかをしっかりと把握して、どんどん会議を進めていかなくてはならないからだ。 それができない者に、管理職など務まりようもない。

 つまり、時短や在宅勤務とジョブローテーションは相性が悪い。 「素人部長や素人課長は、新時代にはデメリットのほうが大きい」 と声を大にしていいたいのである。

 ところが、 「やっぱりジョブローテーションが大事だ」 と譲らない “抵抗勢力” がいる。

 社長である。

 大手企業の社長は、だいたいジョブローテーションの中で、自分の知らなかった世界を知り、その分野の世界観や技術観を獲得し、それまで得意だった仕事の上に新しい知見を加えて統合して、 「立派になった」 のである。 彼らはその成功体験から、ジョブローテーションこそ自分の能力を上げてくれたものであると心の底から信じている。

 きっとこれは嘘ではない。 そして、こういった社長のような人はいる。 新しいセクションに異動したらすぐに猛勉強して、管理職として機能するための技術やスキルをあっという間に身につけ、適切に部下に質問ができるようになり、適切に上に報告できるようになる。

 さらに、過去の自分の経験や知識を新しい仕事に加味して、大きな成果を出すのである。 だからこそ、どんどん出世して社長や上級役員にまで上り詰めるのだが、こういう優れた管理職の出現確率はよくて2割、実際のところは1割以下だろう。

 あとの8割は “ただ居ただけ” である。 2年後には、いちおう仕事に必要な用語を覚え、社員との面識はできるだろうが、本当の意味でその業務を深く把握するにはほど遠い状態で去っていく。

 社長や上級役員は、ジョブローテーションが本当にうまくいっているのか、自分の経験を度外視して、実態を見るべきだ。 すると、部下にプレゼンの資料を作らせシナリオまで書かせているお荷物管理職の姿が見えてくるのではないだろうか。

 一つの答えとしては、一律なジョブローテーションは廃止して、社長と同様に新たな世界観を短期間に獲得し、成果を出せる “本当に能力の高い者” だけに絞って異動させることだ。 社内の人的ネットワーク構築については、別の手段を使えばよい。 普通の人にジョブローテーションをさせたところで、当人の実力アップにもつながらないし、時短の邪魔になるだけである。