( 2015.10.31 )

 



 血の滲んだ顔の傷がおぞましいゾンビたち。 魔女や化け猫からなぜかハイレグ網タイツのバニーガールまで。 夥しい数の魑魅魍魎が街中を跋扈するあの季節がまた廻ってきた。 年々、規模が拡大するイベント、ハロウィンだ。 由来とは無関係の愚の狂宴をどうしてくれよう!

 シンデレラや白雪姫のコスプレ女性たちが、歩道でスマホの自撮り棒を用い、 「 ハイ・チーズ 」 と記念撮影に興じるのは、通行の邪魔とはいえ、まだ良しとしよう。 だが、そのグループに混じって、血に染まった白衣のナースがおもちゃのチェーンソーを振り回すのは何故なのか。 その向こうでは、横縞の入った超ミニのワンピース、囚人ルックの女性の一団が気勢を上げる。

 妙な唸り声に気づき、振り向けば、顔に血の滲んだ傷だらけのゾンビ・メイクの女たちが湧いて出て、両手を前に伸ばしこちらに近づいてくるではないか。 かと思えば、木枯らし1号が吹いたというのに、胸元も露わな、網タイツ姿のバニーガールたちがお出まし。 ハイレグTバックの女性とともに通りで踊り狂う。

 例年10月末、夜のとばりの降りた東京・渋谷は百鬼夜行のワンダーランドと化す。 こんな夥しい数のコスプレ人間たちがスクランブル交差点に集結。 信号が青に変わるたびに走りだし、中央付近で反対側から駆けてきた連中とハイタッチすると、寄せては返す波のように、また元の場所に戻っていく。
「交差点内は走らないで」
 と警察がメガホンでいくら注意しても、完無視でこれを延々と繰り返すのだ。 ここ数年、すっかり日本でも定着してしまった、ハロウィン、狂態の一コマである。
「10月25日には、六本木でも 『六本木ハロウィン』 というハロウィン・パレードのイベントが催されました」
 と語るのは六本木商店街振興組合の堀井健一理事。
「昨年、初開催され、今年が2回目で、パレードには3000人が参加しました。 しかしこれ以外にも、去年は、約8万人ものギャラリーを集め、今年も同程度の人出でした」
 首都圏のハロウィンといえば、渋谷やこの六本木の騒ぎが有名だ。 しかし年々、ハロウィンに乗じ、仮装姿を楽しむ老若男女は増加し続け、それとともに出没エリアも広がっている。 最近では10月に入ると、新宿や池袋など、他の盛り場でも、ゾンビ女などハロウィン・モードのコスプレ人間が街を練り歩く姿が見られるようになった。

 日本においてハロウィンが急速に認知され、年中行事になりつつある状況は、その商業規模の拡大の推移からも窺える。
「ハロウィン人気が日本に急激に広がり始めたのは、2010年以降です」
 と、日本記念日協会の加瀬清志代表理事は解説する。
「お菓子やグッズ、衣装やホテル、レストランのメニューなどハロウィン関連の市場規模を見ると、11年は560円だった。 それが、昨年は1100億円と倍増。 今年は1220億円と推計しており、1250億円のバレンタインデーと肩を並べるまでに成長しました。 来年はこれを追い抜く見込みです」



 そこで問われるようになったのが、マナーやモラルの問題だ。 昨年の渋谷のハロウィン・ナイトを取材した、ライターの今井舞女史が慨嘆する。
「仮装して集まってきた人たちのほとんどが酒を飲んで酔っ払っていました。 センター街の入り口付近は10メートル進むのに10分もかかる混雑ぶりです。 界隈は異様なハイテンションに包まれた人たちに占拠され、無法地帯と化していました。 警官たちは鬼の形相で通行整理していましたが、多勢に無勢でまったく取り締まれない。 缶ビールの空き缶やタバコの吸い殻などゴミが大量に放置されていました。 仮装前に着ていた衣服を入れたビニール袋を路上に置きっぱなしにして、うろうろしている人も多かったですね。 私にすれば、針山や血の池と同じくらいの地獄絵図で、 “ハロウィン当日は渋谷に出かけてはいけない” と子々孫々にまで伝えたくなるほどでした」
 警視庁は機動隊など200人を動員し、警備に当たっていたが、この有様。 結果、どさくさに紛れての痴漢行為と、警官の顔を殴った公務執行妨害で、2人の逮捕者が出る騒動となった。 これを教訓とし、今年は昨年の4倍となる800人態勢で警備警戒に臨むという。

 もっとも、これだけの人出だ。 さぞかし街の商店や商業施設の方は潤い、嬉しい悲鳴を上げているはず …… かと思えば、さにあらず。 ある飲食店店主は、
「彼らは飲食を済まして繰り出してくるので、路上にたむろしているだけ。 全然、売り上げにつながりません。 むしろ店前にゴミを捨てられるので、30分おきに掃除に追われていました」
 とはいえ、デパートのハロウィン関連グッズは飛ぶように売れたのでは?
「パレードの夜はさほどでもありません。 むしろ仮装コスチュームに着替える若者にトイレが “占有” され、メイク用の血のりで汚される始末です。 当日はマイナス面の方が多いかもしれません」 ( 大手デパート関係者 )
 いい大人ならば、眉をひそめる行状ではあるまいか。

 これは 「 六本木ハロウィン 」 でも同様で、ある会員制バーの関係者が嘆く。
「ハロウィンの夜に六本木で大騒ぎするのは、普段はこの街に来ないようなガキばっかりなんですよ。 逆に常連さんたちが乱痴気騒ぎを嫌って、六本木に寄り付かなくなるので、大迷惑。商売あがったりです」
 そもそも、ハロウィン祭は、カトリック系の宗教行事に由来する。 カトリックでは多くの聖人がいる。 それらすべてを祝うのが11月1日の 「 諸聖人の日 」。 この日になると、地獄の釜の蓋が開き、妖精や魔女などの魑魅魍魎が地上に現れる。 これを英語で、All Hallows といい、その前夜、つまり Hallows Eve が訛って、 「 ハロウィン 」 と呼ばれるようになったという。 しかし、さらに起源をさかのぼると、ハロウィンは古代ケルトの時代に行き着く。 ケルト人が死者を迎え、ともに秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う 「 収穫祭 」 だったのである。
「今があるのは、自分たちだけの力ではなく、亡くなった先人や仲間たちのおかげと考え、死者と収穫を分かち合う日なのです。 現在、欧米では、お化けに仮装した子どもたちが近所の家を廻り、 “トリック・オア・トリート( お菓子をくれないと、いたずらするぞ )” と唱えますが、これはまさに、死んだ仲間たちと収穫を分けあえるか否か、確認する行為が風習となったものなのです」 ( 大阪芸術大学教授で、美術博士の純丘曜彰氏 )
 翻って、今般の我が国における俄かハロウィンブームには、そんな哀感漂う切実な思いや物故者への優しく静謐な眼差し、厳かで崇高な理念など微塵もない。
「クリスマスは、男女がエロを行う日として定着し、バレンタインは、女が男に告白する日になった。 海外の伝統文化を持ってきて、全然本来の意味と違うイベントに仕立て上げるのは日本のお家芸。 そこに近年、ハロウィンも無事、加わったというわけです」
 とは、ネットニュース編集者、中川淳一郎氏である。
「渋谷や六本木のハロウィンは、単なるコスプレ大会と化している。 バニーガールが、宗教的な収穫祭と何の関連があるんでしょうか。 日本のハロウィンには “文化” の部分が抜け落ちていて、バカ騒ぎする日になってしまっています」
 この点、先の純丘教授も、
「そもそもハロウィンとゾンビを混同している。 『死者の日』 なのに、決して死なないゾンビを登場させるのですから、話がごちゃごちゃで呆れてしまいます」

!?

 その一方で、日本人は大切な “核心” を失いつつあるのか。 哲学者の適菜収氏はこう警鐘を鳴らす。
「日本では今、伝統行事がどんどん曖昧になっています。 地域の秋祭りが消えていくように、伝統は古臭いものとして、ぞんざいに扱われてしまっている。 かつて神奈川県のある小学校では、 『端午の節句』 や 『ひな祭り』 などの行事を、 “男女差別を助長する” とか、 “女性蔑視だ” などとバカな理由を挙げ、取りやめてしまったことがある。 その一方で、どこかの国の宗教行事を嬉々として行っているのですから、みっともない。 そのハロウィンにしても、普段、仮装を白眼視されるコスプレ好きが、この機とばかりに利用して、ストレス発散で騒いでいるだけです」
 それにしても、日本でなぜこれほどハロウィン人気が急伸し、根付いたのか。
「要因の一つに、SNS効果が挙げられます。 加えて、メディアの力もある。 様々な形で取り上げるので、社会での認知度は急速に高まった」 ( 先の加瀬氏 )
 メディアでもとりわけテレビの力が大きいようだ。 テレビ局幹部が言うには、
「確かにハロウィンの仮装は画( 絵 )的にも魅力的で、テレビ向きのコンテンツです。 大勢の人が集まるから、そこには自ずとお金も動く。 するとスポンサー企業が関心を持たないはずがない。 つまりハロウィンは、イベントを楽しむ参加者、スポンサー、テレビ局、いずれにとってもおいしいお祭りなのです。 日テレは 『ハロウィン・ライブ』 を日本武道館で開催するし、フジやTBSもイベントを催します」
 テレビの力でさらに “1億総ハロウィン化” の様相を呈すようになるのか。

 しかし、こんな懸念の声も聞こえてくる。
「異様な雰囲気に包まれた現場を見て、私はハロウィンが、今後、テロや通り魔に狙われる格好のターゲットになりはしまいかと危惧しています。 孤独や閉塞感にさいなまれ、不満をため込んだやからが、ハロウィンで浮かれている若者に鬱屈した憎悪の念をぶつけるかもしれない。 あそこにいると、鎌や包丁、チェーンソー、拳銃などどんな凶器を持っていても、違和感がなく、おもちゃにしか見えませんからね」 ( 先の今井氏 )
 事実、欧米などでは近年、ハロウィン・パーティーの最中に参加者が無差別に銃撃される事件が相次いで発生している。 すでに今年もフロリダで銃乱射による殺人事件が起きたばかりだ。

 日本でも犯罪を誘発するイベントになる危険性を考えれば、なお一層、警察は難しい警備警戒を求められる。 ゴミやトイレの占拠に対しては、今後、主催者や自治体は対策を講じていくと言うが、いずれにせよ、傍迷惑な狂乱イベントと言うほかあるまい。 愚や愚や、愚の骨頂の汝らを如何せん。



( 2018.10.31 )



理由なく暴れまわる無軌道な仮装集団


ハロウィンを前に渋谷センター街に集まった人たち
 今年もハロウィンがやってきた。 「Trick or Treat?」 と子どもがお菓子をねだる姿はとても可愛い。 しかし、最近では仮装した大人たちがどんちゃん騒ぎする祭りになっている。

 ハロウィンパーティーに参加したことがない。 なぜなら、 「仮装する」 という行為が、どうしても自意識的にできないからだ。 そういう人にとってハロウィンは、ただの舶来の祭りである。 我々には関係ないことだ、と。 だが、近頃のハロウィンは看過できないほどの勢いがある。

 今年、ハロウィン前の週末には、渋谷にたくさんの仮装集団が現れ、立ち往生した軽トラックを横転させたり、痴漢や盗撮の疑いで逮捕者が出たりする大混乱に陥ったそうだ。

 そんなハロウィンに対する批判としてよくあるのが 「ただ騒ぎたいだけのバカ」 というものである。 民衆が暴徒化する例は昔からあるものの、米騒動や一揆などとは違って暴れる理由がわからないのがハロウィンの特徴だ。 しかも、これといった大義もなければ、正義もない。 もしかしたら、背景には不況や世界情勢への不安があるのかもしれないが、だとしたらなぜアニメキャラやゾンビに変装する理由があるのか。

 まるで尾崎豊の歌詞に表現されているような無軌道性。 いや、そう言ったら尾崎や尾崎のファンに失礼だろう。 たしかに、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわるのはどうかと思うが、それには青春の葛藤や実存への不安が背後にあった。 しかし、渋谷のハロウィンを見る限り、いい歳をしたおっさんも交じっている。 今さら実存に悩む歳でもない。 しかも、尾崎は 「ウェーイwww」 などと叫びはしない。 これは絶対に。

 インスタ映えする写真を見知らぬ人と気軽に撮ることが目的の人もいるようだ。 ところが、なかにはナンパ目的という輩もいるから厄介である。 今年、渋谷のハロウィン騒動に遭遇した女性によると、 「今は性欲の塊だから!」 「去年、ハロウィンの後にラブホ行ったぜ」 と自慢げに話している男たちがいて、ドン引きしたという。


なぜ、人々は 「渋谷」 で狂乱するのか

 そんな彼、彼女らに対して、社会的な警戒心が高まっている。 東京都渋谷区の長谷部健区長は記者会見し、渋谷駅周辺に集まる若者たちに対して、モラルを守ってハロウィンを楽しむよう異例の声明を出した。 駅周辺のコンビニエンスストアに、瓶入り酒の販売自粛も申し入れたという。

 一昨年は7万人以上が渋谷駅周辺に集まったそうだ。 機動隊員を多数動員したが、混乱が抑えきれないほどの荒れっぷりだった。 それにしても、そもそもなぜ渋谷駅なのか、という素朴な疑問もある( そう言えば、サッカーW杯の時も渋谷駅周辺が混乱する )。

 中沢新一氏の著書 『アースダイバー』 ( 講談社 )によると、渋谷駅前の交差点はかつて水の底にあり、宮益坂、道玄坂といった斜面に古代人が横穴を掘って、死者を埋葬していたそうだ。 古代、生きている人間の共同体は厳しいおきてで支配されていたが、死霊の支配下では世俗のモラルが効力を失う、と中沢氏は指摘している。 そういった歴史が渋谷という歓楽街の形成に影響を与えたという。 現代のハロウィンの狂騒も、それと関係しているのだろうか。 だとしたら、古代からの人間の歴史の積み重なりを感じさせる。

 しかし、果たしてそんな大層なものなのだろうか。 だいたいハロウィンは日本の古代とまったく関係がないのである。 一緒にしないでくれと、古代人たちも迷惑がっているはずだ。

 もともとはキリスト教の万聖節の前夜祭だったというハロウィンが、なぜか日本では 「意味もないのに仮装して騒ぐ」 という危険思想に染まった祭になってしまった。 思想調査をしている公安警察も真っ青である。 思想がないぶん、取り締まりようがない。


彼らは 「バカ」 なのではなく、むしろずる賢い

 さて、一番気になるのは、彼、彼女らは本当に 「ただ騒ぎたいだけのバカ」 なのかどうか、ということである。 なぜなら、 「ただ騒ぎたいだけのバカ」 ならば、いつでも、どこでも騒いでいるはずだからである。 しかし、彼、彼女らは 「特別な日」 にしか騒がない。

 ハロウィンという海外からもたらされた祝祭の日の前後には、歓楽街に多くの騒ぎたい人たちが集結する。 それに乗じることで、 「騒ぎたいのは自分だけではない」 という免罪符が与えられたような気がするのだろう。 さらに酒が入り、その乗じたい気持ちに勢いがついてくると、軽トラックまでひっくり返す暴挙に出るのだから人間は恐ろしい。

 しかも、仮装という匿名性と非日常性が、彼らにさらなる無軌道性を与える。 つまり、集団性、匿名性を隠れみのにして暴れる彼、彼女らは 「バカ」 などではなく、むしろ狡猾でずる賢い確信犯だ。 「ただ騒ぎたいだけのバカ」 と呼ぶには彼、彼女らは臆病で気が小さい。 彼、彼女たちは、騒ぐ場所もタイミングもシチュエーションも、すべて計算ずくで選んでいる。

 もちろん、マナーを守ってハロウィンを楽しんでいる人のほうが多数であることも、付け加えておかなければならない。 ほかにも、クリスマスやバレンタインデーなど、本来の文化に関係ないイベントが日本には根付いている。 異文化を柔軟に取り入れる姿勢は日本人のよいところだ。 ハロウィン自体が、否定すべきものだとは思わない。

 思想なき集団が無軌道に暴れる現象。 その裏には、実は臆病で気が小さい、一部の日本人の性質が隠れているのかもしれない。 「ただ騒ぎたいだけのバカ」 にもなれない彼、彼女たちにとって、 「仮装する祭り」 は海外からもたらされた、もってこいの口実なのだろうか。 いずれにしても、節度を守って楽しまなければ、文化として衰退していくだろう。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~