数と数字はどちらも小学校で習う基本的な言葉であるにもかかわらず、その違いを明確に理解している日本人は多くありません。

 意味の違いを教わるきちんとした機会がないことはその大きな原因です。 数学の試験にも、国語の試験にも 「 数と数字の違いを説明せよ 」 という問題が出題されることはほとんどありません。

 「 数は概念であり、数字はその概念を表す文字のことである。 または、数はイデアの存在で、数字は形ある存在である 」

 これを読んでその真意をすぐに理解することは容易ではありません。

 さまざまなところでこの話をすると、決まって相手からポカンとした反応が返ってきます。 「 数と数字の違い 」 という問い自体が初めてなので、いきなりその答えを知らされても理解が追いつかないのです。




 「 数字を使える営業マンが数字を作る 」
 「 数字に強い理系、数字に弱い文系 」
 「 視聴率、内閣支持率という数字 」

 どれも本来の意味での 「 数字 」 の使い方に誤りがあります。

 営業マンにとっての数字とは営業成績のことであり、理系が本来強いのは数です。 さらに視聴率や内閣支持率は数値です。

 かくして、数には 「 数 」 と 「 数字 」 と 「 数値 」 の3つの形態があるのですがその違いは 「 数字 」 という言葉に溶けてなくなってしまっているのです。
 数と数字の違いを理解するのは思いのほか容易ならざることであり、さらにそれを使いこなすのは難しいことです。 果たして、多くの日本人が目に見える文字 「 数字 」 を多用することになります。

 繰り返しますが、 「 数字 」 こそが目に見えるモノだからです。

 私たちの身の回りを見渡してみれば、いたるところに数字が見つかります。 物の値段、個数、長さ、重さ、時間といったさまざまな量を表す際に数字が必要になります。

 そして物の量を測るときに必要なのが単位です。 値段は円、長さはm( メートル )、重さはKg( キログラム )、時間は年・月・日・時・分・秒といった具合です。

 リンゴ1個、ミカン1個、物差し1m、お米1Kg、時計1秒というように、これらに共通するものを見つけることができます。 それが1という数です。 1という数のおかげで量を表すことができます。

 数は何にでも使うことができるとても便利な考え方なのです。 その数が大きくなりさらに計算するようになることで必要になるのが、数をどのように表すのかということでした。 そして私たち人類は長い時間をかけて、十進位取り記数法と 「 0 」 という数字を持ったアラビア算用数字を考え出しました。


 

 1という数自体はリンゴやミカンや物差しやお米や時間そのものではありません。 数は考え方すなわち概念です。 その数という考え方を表すための記号( 文字 )が数字なのです。 実は形にも同じことが言えます。

 ノートに鉛筆で描かれた直線は本当の直線ではありません。 直線とは、幅が無く、両端が無限に延びたものです。

 そんなものはこの世に実在しません。 本当の直線は私たちの心の中にしか存在しないのです。 このことに気づいたのがギリシャ人たちでした。 心の中に存在する数と形の存在の絶大なる威力に目覚めていったのです。

 例えば、アルキメデスが円周率を3.14とはじきだすことに成功したのはまさに 「 概念としての直線 」 のおかげでした。

 こうして、数と形の世界に隠された驚くべきルールが発見されていくことになるのです。 その壮大な物語が 「 数学 」 です。 ひとたび、証明されたルール ― 公式や定理 ― は時空を超えた永遠の真実となります。

 さらに現代では定理や公式に特許を与えることはできません。 なぜならそれらは発見であり、発明ではないからです。 定理や公式は人類の共通財産となり、その使用にいっさいの金銭がからむことはありません。

 驚くべきことに、数学は神から独立しています。 例えば、円周率3.14…… は神によって作り出されたものではなく、神ですらその数に触れたり変更することは許されません。 こうして、この世に、時間と空間、経済、神から独立した存在があることに人類は気づいていったのです。 それが数学です。

 私たち人間が持つ力、それは見えないものを見る力です。 リンゴとミカンというまったく独立な存在の背後に共通の1という数を見つけるまでに人類は数万年におよぶ長い時間を必要としました。

 小学校の算数では数に単位がついた数値 ― 長さ1m ― を扱い、中学、高校と進むにつれて単位がつかない数 ― 長さ1 ― を扱うようになります。 さらには具体的な数の代わりに x や y といった新しい考え方 「 代数 」 が登場し、その x と y の関係である 「 関数 」 という考え方にまで至ります。

 小学校1年生の教科書 「 算数 」 は、 「 かずとすうじ 」 からはじまることを覚えている日本人の大人がどれだけいるでしょうか。

 今こそ大人は小学校の算数から学び直し、数字から数への階段を上がる時です。 それができるのが私たちの特権なのですから。


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