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離婚
(1) 結婚21年、42歳で離婚した女の自由と自立 
(2) 「夫の虐待」 に強烈な嫌悪感を覚えた彼女の告白 
(3) 「離婚した女性」 が年下男性と再婚しがちなワケ 

( 2018.06.16 )


 厚生労働省によれば2017年の離婚件数は21.2万組、ピークだった2001年の28.9万組からは減っているものの、1970年の9.1万組と比べて2倍以上という高水準が続いている。 2001年の婚姻件数は79.9万組、2017年は同60.7万組なので、単純計算すると3組に1組の夫婦が離婚している計算だ。
 しかし、離婚とそこにいたるまでの理由は多種多様である。 そもそも一組の男女が、どこでどうすれ違い、離婚という選択肢を選んだのか。 離婚を選択した一人ひとりの人生をピックアップ。 離婚に至るまでの経緯をできるだけ明らかにすることで、現代社会が抱える家族観や結婚観の揺らぎを追う。

21年間連れ添った夫と離婚


たった紙切れ1枚なのにがんじがらめになってしまう
 54歳の斎藤百合子さん(仮名)は、柄物のTシャツにジーパンというラフないで立ちでJR中央線の某駅に現れた。 斎藤さんは都内の老人介護施設で介護福祉士として働いている。

 百合子さんは、9年前に21年間連れ添った夫と離婚。 それまでは約20年間、専業主婦だった。 子供は4人いるが、全員が成人している。

 「今日も利用者さんのおうちを入浴介護で訪問したら、来てくれてありがとうって言われたんですよ。 すごくうれしかったです。 元旦那は、典型的なモラハラ男。 馬鹿だクズだと、毎日のように言われ続けた生活だったから、まるで真逆の生活を送ってるんです」

 午前中に、高齢者の女性の入浴介護を終わらせてきたという百合子さん。 さすがに疲労感があるはずだが、そんな様子も見せずに、満面の笑みを浮かべる。 入浴介護は、体力も使い、汗まみれになるため、ほぼノーメイクだが、童顔で痩せているため、年齢よりも若く見えて、かわいらしい印象である。

 現在の職場の手取りは、約18万円。 ボーナスはない。 日によっては、夜勤も週3回でこなすこともあって、年齢的にも決して楽な仕事ではない。 それでも離婚で手に入れた経済的、精神的な自立によって、身も心も自由になったと日々感じている。

 百合子さんは、パソコン関係の専門学校を卒業後、20歳でデジタル体温計を製造しているメーカーに技術職として入社。 7歳年上の夫・啓介(仮名)とは、そこで知り合った。 よくある職場恋愛だ。 たまたま百合子さんの後ろの席に背中合わせで座っていたのが彼だった。

 啓介は、関東の工業大学を卒業後、技術開発部門に新卒で入社した、いわば先輩だった。 バリバリ仕事ができるところに惹かれて付き合うことになり、あれよあれよという間にプロポーズされた。

 飯田橋の東京大神宮で結婚式を挙げ、会社の近くのジャズバーで会社の関係者を呼んで披露宴を催した。 幸せの絶頂だった。

 「よくある職場結婚だったんですが、結婚したのが21歳で早かったんです。 だから、職場の上司には 『本当にいいのか?』 って、説得されましたね。 今思うと、自分でも周りが見えてなかったんです」

 しばらくは啓介と同じ職場で働いていたが、会社の経営状態は次第に厳しくなっていった。 そのため、百合子さんのみ退職を余儀なくされ、啓介はそのまま同じ会社で働き続けた。 そこから、20年余りにわたる百合子さんの専業主婦としての生活が始まった。


地獄の結婚生活の始まり

 夫婦生活は順調そうに見えた。 2年後に長男が、そして次男、三男と次々と生まれた。

 その頃に住んでいた埼玉のアパートが手狭になったことから、横浜市に一戸建てのマイホームを買った。 しかし、それは地獄の結婚生活の始まりだった。 新しい家に移り住んだ頃から、啓介の様子がおかしくなった。 いわゆる、DVとモラハラが始まったのだ。

 「私が年下だから、 『お前は社会に出て何もわかってないんだから、俺の言うことを聞いていればいいんだから』 って、言われ続けましたね。 『お前は馬鹿だからと。 お前は家にいておとなしくしていればいいんだからって。 子供が粗相をすると、お前の育て方が悪いんだ。 金属バットを振り回すような子供になるぞ!』 とことあるごとに脅されました」

 啓介は、自分の 「家」 と、正しい 「家庭生活」 に異常なほどにこだわりを見せた。

 元夫の両親の職業は教師で、多忙な両親は、啓介の運動会などにほとんど顔を見せることもなかった。 そのため、寂しい幼少期を過ごした。 そんな両親を憎んでいた啓介は、まるでそれを反面教師にするといわんばかりに、百合子さんがつねに家にいる、正しい母であることを望んだ。 特に家へのこだわりは異常なほどだった。

 「部屋の壁に手をついて歩くなって言うんです。 壁に手をつくと、汚れがつくから嫌だって言うの。 だからなるべく壁に手はつかないように、生活していました。 自分たちの家なのに、つねにビクビクして生活していましたね」

 ある日、友人からビーズの手作りのアクセサリーが送られてきた。 段ボールのまま机に置いていたら、庭で焼かれて、燃えカスになっていた。

 「つらくて声も出なかったですね。 人間って、あまりにつらいときは、声すら出なくなるんだなって思いました。 自分の部屋なんてないから、悔しくて、悲しくて、キッチンで一人で泣いていました」

 母親からもらった長男の入学祝いも啓介によって燃やされた。 テーブルの上に封筒を置いていると、 「机が散らかってるぞー!」 と怒鳴り散らし、そのまま同じように庭で火をつけられた。

 「おカネなんて、あッという間にメラメラ燃えて、灰になるんです。 そのときもすごく恨みましたね。 母の気持ちを思うと、切なくて悔しくて、もうどうしようもなかった」

 マイホームは、啓介にとって、ようやく手に入れた自分の城 ――。 城の王様である啓介は、城に奴隷たちの私物があることが気に入らなかったのだ。 ブーツやサンダルなどの靴も気がつくと、物が多いとの理由で、庭でいつの間にか燃やされている。 そんな日々が続いた。

 さらに、啓介は九州男児で田舎育ちとあって、とにかく野菜の鮮度や味には異様に敏感だった。

 「2日くらい経った野菜に、 『何年物のナスなんだ?』 と罵倒するんです。 おかずを作っても、 『こんなの家畜が食べるんじゃねぇぞ!』 と、すべてけなされるんです。 そのたびにドキドキして、胸の動悸が止まらなくなる。 なに? また何か私やったの? と委縮してしまうんです」

 ファミレスは禁止、電子レンジは料理を楽にするものとして、買うことすら禁止された。 気に入らないことがあると頭を小突かれ、平手打ちはしょっちゅうだった。

 「夫は家の中にいるお人形が欲しかったんだと思います。 家の中だけにいると、世間がわからないから、旦那さんに言われたことが全部正しいと思ってしまうし、ダメな自分が悪いんだと思うんです。 一種の洗脳ですよね」


監禁と紙一重の夫婦生活

 そんな啓介との生活に息が詰まりそうになった百合子さんは、外でパートでもいいから、働きたいと懇願した。 そのたびに 「そんなに外に出たいのか! 俺の稼ぎじゃ足りないのか!」 と啓介に怒鳴られた。そのため、事実上の軟禁状態だった。

 「外に働きに出るのは、すごく嫌がっていました。 人間性を奪って、奴隷みたいに家に監禁しておきたかったのかなと思う。 そういう事件ってよくありますよね。 でも、私たちの夫婦生活も紙一重だったと思うんですよ。 それでも、結婚は男の人の言うことを聞くものだと思ってたんです。 お前は社会に出て何もわかってないんだからと言われると、そうだよね、 私、何も世間のこと、わかってないよね、と」

 ある日、出席した子供のPTAの勉強会で、子供のセルフスティーム(自己肯定感)を育てるという講義があった。

 「今思うと、自分がいちばん自己肯定感を奪われていたのに …… って突っ込みたくなります。 でも、子供の教育に関することは、熱心にノートを取ってるのに、DVとか、モラハラで悩んでいて、自己肯定感がズタズタにされていることにすら、気がついてなかったんです。 そのときはモラハラという言葉すらなかった」

 携帯電話が出始めたころに0円で使える携帯電話をコンビニで手に入れた。 うれしくて、ソファーで寝っ転がって夢中になっていると、 「いつまでそんなので遊んでるんだ!!」 と激高した啓介に、馬乗りになって首をギューッと絞められた。 命の危険を感じたが、そのすさまじい力になす術がなかった。

 「首を絞められたときに、 『やめて――!』 って叫んだ気がするけど、あまり記憶がないんです。 私が夢中になってることに、焼きもち焼いたんでしょうね。 なんでこんなことするんだろうって、薄れゆく記憶の中で感じたのだけ覚えています」

 子供ができてから百合子さんは実家の両親に子供を見せたいと思った。

 しかし、実家に子供を連れて帰ると、 「何を吹き込まれてきたんだ?」 と啓介は露骨に嫌悪感を示すのだ。 啓介が不機嫌になるのが怖くて、実家にもなかなか帰れない日々が続いた。 そのため、ますます百合子さんは孤立感を深めていった。

 体を求められるのは年に、4、5回。 それもつねに啓介の自分勝手な行為だった。 思い付きでいきなり襲ってきて、ムードも何もなく一方的に果てて終わり。

 「我慢するものだと思っていた。 我慢していたら、夜のお勤めが終わっているという感じです。 それでも、私も女だから、たまに、抱きつきたくなったりキスしたり、スキンシップしたくなったりする。 それで、ベタベタすると、 『うざいわ』 と言われて突き放されるんです」

 そのため、排せつ行為のような性生活に寂しさだけが募る日々が続いた。 女性としての喜びのかけらも感じたことはなかった。 それでも、女として、満たされない思いだけは募っていた。 しかし、運悪く数カ月ぶりの性交渉で、4人目の子を妊娠してしまった。

 「子供を産みたくなくて、お腹をボカボカ叩きました。 流産しないだろうかって。 この人との縁をつなぐようなものはいっさい欲しくなかったんです。 上の男の子たちも大きくなっていたし、やっとこの子たちが離れるのに、それ以上この男とつながりを持たなきゃいけない何かが生まれるのがすごく嫌だった。 経済的に自立してなかったから、頭を下げてこれから生まれてくる子のために、お父さんに、かしずいていかなきゃいけないんだと思うと、嫌で嫌でしょうがなかったんです。 だけど、いざできちゃうと、中絶はできないんですよね」

 百合子さんは、毎日が無性に寂しくて、たまらなかった。 4人目の子供が生まれてからは、夫とは完全にセックスレスとなった。

 「なんで、私、こんな生活しなきゃいけないんだろう」

 百合子さんは次第にそう考えるようになっていった。 啓介からは生活費として、月に8万円を貰っていたが、百合子さんが衣類など、自分のものを買うと怒りだす。 スカート1枚も買えずに、美容院に行くこともできなかった。 髪の毛は荒れ放題で、服は首の伸びたTシャツをいつも着ていた。 友達にランチを誘われても、あまりのみすぼらしさに恥ずかしくて断る日々が続いた。

 小さい穴が、どんどん大きくなっていく感じ ――。 百合子さんは、そう例える。 そして、その穴はもはや塞げないくらいに広がり、修復のしようもなかった。 精神的にも肉体的に限界が近づいていた。

 「周りの世界がチラチラ見え始めてきて、 『あれ、おかしいな』 と思うようになったんです。 周りのママ友なんて、当然ながらファミレス禁止令なんかない。 好きな洋服を買って、ランチもしている。 うちの事情を話したら、笑って馬鹿にされました。 “私、ここまで我慢しなくてもいいのかもしれない” そう思い始めたんです。 このまま家庭生活が続いたら、私の頭がおかしくなってしまうというのもありました。 それに気づくまで、20年かかりましたね」

 結婚20年目は、百合子さんにとって区切りでもあった。 ちょうど20年、この人にお仕えしたから、1回だけ休憩をください ――。 そんな思いから、離婚を夫に懇願した。 しかし、いざ勇気を持って夫に離婚届を見せると、激高して、ビリビリに破られるという日々が続いた。

 しかし、百合子さんの離婚の決意は固かった。 そのため、離婚は調停にもつれ込むこととなった。


思ってもみなかった調停委員とのバトル

 夫婦だけの話し合いで離婚が成立しない場合、家庭裁判所の調停で、調停委員と裁判官という、第三者を挟んで双方の意見を調整し、話し合うことになる。

 この調停委員を交えての話し合いが幾度となく繰り返された。

 「調停委員は、なるべく離婚をさせまいと、強引に、元のさやに戻そう戻そうとするんです。 DVやモラハラがあったというと、 『私たちが旦那さんに一筆書かせて、ないようにするから、あなたもちゃんと家に戻りなさい』 と言われる。 ただでさえ、参っているのに、このやりとりでかなり精神的に追い込まれましたね」

 さらに専業主婦で行き場のない百合子さんは、調停中でも、啓介のいるマイホームで、寝食をともにせざるをえなかった。 親の反対を押し切って結婚した百合子さんにとって、実家に帰るという選択は毛頭なかったからだ。

 「とにかく、調停中、家の中では気まずいですよね。 『私の胸の内は全部調停員に話してありますから、話を聞いてきてください』 そう言うしかない。 家で話をしても離婚の話はしないようにしていました。 夕飯の支度はするけれど、食事は別で、私だけトイレにこもったり、台所にこもったりして、やり過ごしていましたね。 本当につらい日々でした」

 まるで冷戦のような離婚の調停中、あまりのストレスから耳が聞こえなくなった。 度重なる調停委員との話し合いの後に、夫が根負けする形で離婚が成立した。 離婚当日のことを、百合子さんは今でも鮮明に覚えている。

 2人でそろって、調停委員の前で離婚届にサインした。 特に取り乱した様子もなく、静かに淡々と作業を進める夫。 しかし、横目で様子を窺うと、これまでに見たことがないほど悲痛な表情を浮かべていた。 その感情が痛いほどに伝わってきて、涙がボロボロ出てきた。

 「あれだけ、離婚したいと言ってたのに、いざ離婚となると、体の半分が引きちぎられるような感覚が襲ってきたんです。 夫のことを心の底から憎かったわけじゃないし、私が依存している部分もあった。 今でも、なんでこうなったんだろうという思いが強いんです。 あのときのことを思い出すと、今でも涙が出そうになります。 確かにやっと解放されるという安心感もあったんですが、それよりも、とにかく悲しかった。 離婚は、結婚よりも何十倍もエネルギーを使いましたね。 でも後悔はないです。 とにかく悲しかったですね」

 当時のことを鮮明に思い出すと、こみ上げてくるものがあったのか、百合子さんはハンカチでとめどなくあふれ出る涙をぬぐった。

 私はもう自由なんだ、と思う半面、20年連れ添った男を見捨てたという罪悪感に襲われ、胸が苦しくてたまらなかった。 離婚が成立したのは、百合子さんが、42歳のときだった。

 結局、調停の結果、4人目の子供でまだ幼かった娘だけ自分が引き取ることになった。 長男は20歳を超えていたし、三男も中学3年生。 男の子たちは、父親と向き合うべきだ、そう感じた。

 何とかして、おカネを稼がなくては ――。 そう思った百合子さんは、家を出て、他県に移り、新聞配達員として5年間、がむしゃらに働いた。 娘との生活を成り立たせるために、仕事を選んではいられなかった。 しかし、働くことによって少しずつ、世の中の仕組みが見えてきた。


元夫と、子供たちとの不思議な共同生活

 自立した生活を送り始めていた頃、夫の元にいた子供たちにどうしても家に帰ってきてほしいと懇願された。 「お父さん変わったよ、とても弱ってる。 だから帰ってきて、面倒を見てほしい」 子供たちは、異口同音にそう言った。 自分にとっては、もはや啓介は他人だが、子供たちには父親であることには変わりなかった。 あまりの子供たちの真剣な勢いに断りきれずに、考えに考えた末、家に戻った。

 元夫と、子供たちとの不思議な共同生活が始まった。

 あんなに昔は恐怖心を抱いていた元夫だったのに、5年ぶりに会うと、頭には白いものが多くなっていた。 信じられないくらいに、性格もめっきりと弱く、優しくなっていた。 何よりも、百合子さんを支配しようという態度もすっかり影を潜めていた。

 元夫との共同生活を始めると同時に、百合子さんは地元のハローワークに行った。 百合子さんは、学生の頃にバイトした喫茶店の雰囲気が好きだった。 漠然とだが、もっと人とかかわる仕事をしたい、そう感じていたからだ。


50歳で介護福祉士の資格を取得

 中年の女性の相談員に 「あなた、これからどうするの?」 と聞かれ、何も考えていなかった百合子さんは、 「スーパーのレジ打ちとかありますか?」 と恐る恐る聞いた。 すると、 「何バカなこといってんの!」 と語気を荒らげられた。

 「『あなた母子家庭でしょ? 母子家庭だったらなおさら、東京都で応援してくれるいろんな制度があるんだから、そういうのを使いなさい』 と、いろいろな制度を調べてくれたんです。 それで結局、介護福祉士の資格を取るために2年間学校に通うことになったんです」

 授業料や交通費は、全額免除、さらに通学期間は失業手当も出るとのことだった。 百合子さんは、その制度を利用し、50歳のときに介護福祉士の資格を取った。 そして、現在は、都内の介護施設で働いている。 介護の仕事は楽ではないが、とてもやりがいを感じている。

 「私が家を出ていた5年の間に、元夫は確かに180度変わったし、歳も取ったんだなと思いました。 子供たちのために毎日料理を作ったり、家事も一人でこなしていたみたいです。 それで私に対する考え方が変わったんだと思います。 介護福祉士の資格を取ると言ったら、すごく賛成してくれました。 仕事をし始めたら夜勤があることがわかって。
 それを元夫に言うと 『じゃあいつお前は家に帰ってくるんだ。 もう、帰ってこなくていいよ』 と苦笑いしていましたね。 結婚していたときみたいに、暴れることもないし、ワーッと怒鳴ることもない。 私が夜勤で夜帰ってこなくても、そんな私の生活を尊重してくれるようになったんです」

 それどころか、元夫は、百合子さんの夜勤をねぎらうようになった。 朝、夜勤明けに帰宅すると、ハムとチーズとトーストを準備して待っていてくれるのだという。

 一番下の娘も最近巣立ち、現在は、元夫と2人きりの生活を送っている。

 「とっくに離婚してるのに、まだ一緒に住んでいるなんて、外から見たら変だと思われるかもしれないですね。 でも、どうしても元夫とは縁がある人なんでしょう。 そこは、切れなかった。 介護福祉士の資格を取ったのは、元夫を看取るというのが運命としてあるような気がするんですよ。 だからといって、元夫と再婚するつもりは、ありません。 結婚はもうこりごりだから」

 そう言って、百合子さんは笑った。 そう、男女の関係性に正解なんてないのかもしれない。

 結婚、離婚なんて、紙入れ1枚 ――、しかし、それに縛られるからつらいのだ。

 百合子さんが離婚という経験を通じて感じたこと ――。 それは、物事を始めるのに、何事にも遅すぎるということはないということだ。

 「私みたいに結婚生活で苦しんでいた人に言いたいのは、殻は破ったほうがいいということです。 専業主婦という生活を手放すのは、すごく怖いと思うんですけど、意外に世の中、どうにかなるもの。 さまざまな制度もあります。 私なんて、介護福祉士の資格を取ったのは、50歳なんですから」

 介護福祉士という職業柄、百合子さんは、これまで、4人の利用者を夜勤の時間に看取っている。 さっき歩いてトイレに行ったばかりの男性が、寝室の電気がつけっぱなしだと感じて、ベッドを確認すると、そのまま息を引き取っていたこともある。 管理者やナースが心臓マッサージをするが、息を吹き返した例はこれまで見ていない。

 百合子さんがさまざまな人の死を通じて感じたのは、人間って死ぬときは、あっけないなということだ。 明日、自分が死ぬかもしれない。 それなら、1分1秒を好きに生きたほうがいい。 百合子さんは、今、彼氏がいる。 その彼と、旅行に行ったり、セックスをしたりもする。 もちろん、元夫はその存在を知らない。 知らなくていいこともある、そう感じている。


離婚して初めて夫と対等に向き合えた

 ある日、百合子さんは、桜の季節に思い切って、長男夫婦と元旦那を屋形船に招待した。 決して安い金額ではなかったが、百合子さんはどうしても自分でそのすべてのおカネを出したかった。 会計時に、元夫もおカネを出そうとしたが、今回は、私に出させて ―― そう言った。 「そうか」 と少し戸惑いながら、手持ち無沙汰に財布を引っ込めた。

 屋形船の船上から、散りゆく満開の桜は、まるでかつての結婚生活の門出のように、はかくなくて、それでいて美しかった。 それを、童心に帰ったかのように楽しんでいる元夫を見て、ここに連れてきて良かったと心から思った。

 「それができるのは、やっぱり働いて、自立しているからというのが大きいんです。 昔は、財布からおカネを出すことすら怖かった。 ニンジンを買うにしても、キャベツを買うにしても、これを買ったら、またお父さんに怒られるのかなとつねに怯えていました。 『腐らせるだけだろ!』 って、いつも怒鳴られてたから。
 でも、今は自分で稼いだおカネだから、誰にも文句を言われずに、好きなように使える。 離婚することでいちばん犠牲にしたのは子供だと、思います。 それは今でも反省しています。 だけど、離婚したこと自体は後悔していないんです。 元夫とこんな関係になれたのも、離婚したからというのがあるから」

 そうしっかりとした眼差しで百合子さんは答えた。 今考えれば、結婚しているときは、自分に酔っていたと百合子さんは振り返る。

 「結婚は一言で言うと、しんどかった。 婚姻届って、たった紙切れ1枚なのに、それにがんじがらめになってしまうんです。 結婚で、女は我慢するもの、男の言うことを聞くものって最初から決めてたから。
 悲しくてもつらくても、実家には戻れなかった。 だけど、そんなふうに耐えている自分そのものが、かわいく見えていたのも事実なんです。
 『こんなかわいそうな私、でも一生懸命頑張っていて、偉い』 って。 でも、そんな自分とも、離婚したときにさよならしました。 離婚して、家を出て子供は傷ついた部分もあったと思います。 でも、私は経済的に自立して、成長できたんです。 それは大きい」

 DV、モラハラと、結婚生活で地獄を見てきた百合子さんが、離婚で手に入れたのは、自由と自立だ。 それは、何物にも代えがたい、かけがえのないものであった。 そして離婚によって、皮肉にも初めて元夫と人間として対等に向き合うことができた。 今、百合子さんは心底幸せだという。

 それを手に入れられたのは、何よりも百合子さん自身が、一歩踏み出す勇気を持ったからだ。 その教訓を百合子さんの半生が身をもって教えてくれている。



( 2019.03.29 )




21歳で連れ子2人のいる男性と結婚


バツイチ夫の連れ子2人をかわいがっていた彼女が「キレた」要因とは?
 「結婚って、なんだったんだろうと思いますね。 結婚に憧れはあったんですよ。 でもあとになって思うと、結婚って我慢なのかもしれない …… と思うんです。 しょせん、結婚も離婚も紙1枚じゃないですか。 今思えばたかが紙1枚、されど紙1枚でこんなにしんどいのかと。 本当に、紙1枚なのに」

 吉田恵子(仮名・50歳)さんは、そう言ってうつむいた。

 恵子さんは、21歳のときに、地元の飲み屋で知り合った豊さん(結婚当時・29歳)と結婚し、10年以上にわたる結婚生活を経て、33歳で離婚した。

 もともと豊さんはバツイチで、恵子さんとの結婚当初は9歳と4歳になる前妻の息子がいた。

 そのため、成人になってから間もない21歳という若さで、連れ子たちとの共同生活が始まった。 連れ子との生活は意外にも楽しかった。 連れ子たちは、すぐに恵子さんを 「かあちゃん」 と呼ぶようになり、恵子さんに懐いてくれた。

 しかし、子どもたちが成長するにしたがって、家事は過酷を極めた。 結婚当初は、豊さんも家事を手伝ってはいたが、そのうち面倒くさそうな態度を取るようになり、家事のすべてを恵子さんが引き受けることになったのだ。

 高校に入ると、連れ子の長男はラグビー部に所属したため、食欲旺盛になり、米を毎朝3合炊くようになり、ボリューム満点の弁当と特大のおにぎりが必要になった。

 「男の子だから、 『お前ら、どんだけ食うんだよ』 っていうくらい作らなきゃいけないんです。 大きいホットプレートを使って、どかんと食べられる焼きそばを作ったり、唐揚げを何時間もかけて、大量に揚げたりしてましたね。
 育ち盛りの男の子なので、とにかく量を作れるものが優先になるんです。 一般家庭のようにおかず5品とかは無理なので、カサが多いおかずとご飯と味噌汁と漬物というメニューです。 同年代の友達には 『恵子は本当に、よくやるよね』 と感心されていましたね」


 恵子さんも慣れない家事に翻弄されつつも、ささやかな生活に幸せを感じていた。

 時間に追われる毎日だったが、豊さんとの間にも2人の子どもに恵まれた。 下の子が産まれてから生活はますます忙しく、目まぐるしくなっていった。 恵子さんは、平日は子どもたちを学校に送り出し、フルタイムで事務の仕事に出かけた。 自宅に帰ってからは、洗濯機を回して山盛りの洗濯物を片付けて、大量の食事も作らなければならない。 土日は、食材の買い出しもある。 毎日がてんてこまいだった。


始まった子どもたちへの虐待

 2人目の子どもが生まれた頃から、豊さんとの間に亀裂が入り始めた。 夫は連れ子の次男が少年野球を始めたことをきっかけに、地元の少年野球のコーチとして、子どもたちの指導をするようになっていった。 そして、審判の資格を取るほどに熱中し始めた。

 その頃から態度が尊大になり、その日の試合内容が気にいらないと、子どもを罵倒し、説教することが多くなった。 豊さんは、酒の瓶を片手にしては、機嫌が悪くなり子どもに絡み、さらに飲む。 その繰り返しだった。 子どもが怒られる姿を見るのは、何より恵子さんにはつらかった。

 「野球の試合で子どもがミスすると、 『あの試合はどういうことだ!』 とめちゃくちゃ怒るんです。 気に食わないと、平手でたたく。 体罰ですね。 私はそんなに野球に詳しくないし何に怒っているのか、正直よくわからないんですが、子どもはよく夫の前で正座させられて、説教されてましたね。
 一方的に怒鳴るんです。 最初はトーンが低いのに、酒を飲み始めると、突然スイッチが入って怒鳴り散らす。 『家から出ていけ!』 と子どもに怒鳴って、裸足のまま外に出すこともありました。 あまりにもかわいそうで 『やりすぎだよ』 と言うと、 『いいんだよ! ほっとけば!』 と言うんです。
 子どもが外に出されて、しばらくすると、いなくなっていて近所を探し回ることも日常茶飯事でした。 自分が一方的に罵倒するだけ罵倒して、子どもはおびえて泣いてるんですよ。 部屋の外で正座させられたときもあって、本当にかわいそうでした」


 連れ子とはいえ、わが子同然として育ててきた子どもがおびえる姿を見るのは、切なくて、つらかった。

 しかし、豊さんは一度、キレ始めると止まらなかった。 お酒を飲みながら、何時間でも子どもたちを説教する。 そして、しまいにはアルコールの入ったグラスやボトルを投げつけるのだ。 さらに、近所に聞こえるほどの大声を上げて、息子たちに怒鳴り散らした。 「やめて!」 と何度も制止したが聞かなかった。

 その頃から、急激に豊さんへの思いが冷めていった。 夫との夜の生活を拒むようになっていく。 ただでさえ、4人の子たちの家事に追われ、仕事もしていて忙しいのは確かだ。 しかし、それだけではない。 豊さんの子どもたちへの態度が、恵子さんの心を急激に冷え切らせていった。


拒否したら 「病気だ」 と言われて

 しかし、1回拒否すると、豊さんは、 「そんなのは病気だから精神科に行って来い」 と言い放った。 そして、何度も 「今日は、病院に行ったか?」 と恵子さんに詰め寄った。 「病気」 という言葉が、頭の中でグルグルと回った。 その言葉を言われてから、恵子さんはご飯が食べられなくなり、体重が16キロも減ってしまった。

 「あれだけごはんを食べるのが好きだったのに、喉を通らなくなった。 食べても、吐いてしまうんです。 毎日、夜になるのが恐怖でした。 こっちは心が離れているのに、向こうは勝手にライオンみたいに、寝ていても平気で襲ってくる。 それまでは普通にあったんです。
 でも下の娘を産んで、さらに夫の子どもたちに対する暴言がひどくなって、急激に冷めていきました。 同じ空気を吸うことすらつらくて、どうしても夫が気持ち悪くて仕方ないんです」


 一度、拒否するようになってから、豊さんは疑心暗鬼になり始めた。 恵子さんが浮気しているというのだ。

 「 『お前は浮気してる。 誰か男がいるんだろ』 と絡んでくるんです。 夫は前の奥さんに、男を作って逃げられた過去があるんです。 私にも同じように、男と一緒に逃げられるという恐怖があったんだと思います。 そんなこともあって、私の浮気を異様に疑うようになりました。
 もちろん、浮気なんてまったく心当たりないんですよ。 その頃から携帯も盗み見されるようになりましたね。 私が、お風呂に入ってるときに見てるんですよ。 いつも携帯の位置が微妙に動いていて、あぁ、見てたんだなと思いました」


 夫への嫌悪感は日に日に増すようになり、食事が喉を通らなくなり、離婚が頭をよぎるようになる。 離婚したいと切り出すと、豊さんは 「男ができたんだな」 と決めつけてきた。 話し合いの最中に 「本当は、男がいるんだろ?」 と激高し、腕をギリギリとつかまれ、締め上げられた。 腕がちぎれるかと思った。

 「男なんていないし。 ただ単に別れたいからだから!」

 そう言ったが、聞く耳を持ってはくれない。 思わず、 「助けて!」 と大声を上げた。

 その1件があって以降、恵子さんは、子どもを連れて家を出ることを決意。 夫の連れ子たちも引き取れないかと役所に相談したが、無理だと言われた。 そのため、やむなく自分の産んだ子どもたちを連れて家を出ることにした。 半年後に離婚が成立した。

 恵子さんは、夫との縁を切りたくて、子どもたちの養育費を夫に請求することもなかった。 そして、シングルマザーとして、1人で子どもたちを育て上げた。

 夫との縁は切れたものの、成人した夫の連れ子とは、いまだに家族同然の関係が続いていて、定期的に連絡を取っているのだという。

 「上の子が、 『かあちゃんが出ていった後、超やばかったよ』 って言うんです。 『だって、玄関に女の人の下着が落ちてるんだよ』 と教えてくれました。 夫は風俗の女の人を連れ込んでいたみたいです。 本当に、どうしようもない人でした」

 たまに、仲のいい老夫婦を街で見かけたりするとうらやましいと感じることはある。 それでも恵子さんは、もう二度と結婚はしたくないと思っているという。



( 2019.03.30 )




近年の傾向として、年下のパートナーを「育てる」再婚女性が増えています
 再婚女性は年下の男性と結ばれやすい。 実は、これは最近みられる傾向です。 それどころか、再婚のほうが、初婚よりも早く相手が決まる場合が多いくらい。 なぜ、相手は年下の男性が多いのか。 それは、男性が少々頼りなくても、女性が自分で 「育てる」 ことができるから。 年下の男性は、包容力がある年上女性といると、楽ちんなのです。

 最近もこんな例がありました。 2回離婚歴がある45歳女性のNさんが、5歳年下の男性Kさんとデートしていたときのこと。 Kさんは1日に30回もNさんに電話をしていたといいます。 次に会う時間と場所を決めたすぐ後で、 「本当に品川でよかったですか?」 などと聞いてくる。 Nさんは電話が鳴っても放置し、Kさんに会ったときに着信履歴を見せ、 「今度同じことをしたら、もう会わない」 と言いました。 こんなふうにKさんを育てていったわけです。


離婚を経験した女性が再婚しやすい理由

 Kさんと結婚を決め、後日入籍のあいさつに来たNさん。 「Kさんと仲良くしている?」 と聞いたら、 「いろいろ、今仕込んでいるところです」 と話していました。 「言うこと聞かないと一緒に寝てあげない」 なんて、言うそうです(笑)。 Kさんは素直な男性ですが、何しろ恋愛経験が少なかったのです。

 年下の男性が甘えると、気持ち悪がられないし、怒られない。 女性は 「私、年上だもん、仕方ない」 と諦められる。 逆に、男性が1歳でも年上だと、女性は我慢できなくなる傾向があります。 「しっかりしてよ! 私、あなたのお母さんじゃないのよ」 と。

 では、離婚を経験した女性が、再婚しやすいのはなぜでしょうか。 それは、前回の結婚の 「間違い」 を把握しているから。 前回は、相手を選ぶときのポイントがずれていたわけです。 たとえば、 「顔が好き」 「楽しい」 といった理由で選んだけれど、より本質的なマイナスな部分があって離婚しているわけです。 理由でいちばん多いのは、 「お金がない」 「家にお金を入れてくれない」 などお金に関すること。 異性問題や、親の介護の問題もありますが、それ以前に、性格が合わないこともあります。

 そこで、再婚を希望する女性たちには、前回の結婚で 「相手のここが嫌だった」 と感じたことを10項目書いてもらうようにしています。 「お金に無頓着だった」 「優しい言葉をかけてくれなかった」、あるいは 「お風呂になかなか入らなかった」 などいろいろあります。 生活について嫌だったこと、そして、性格的に嫌だったことを書き出してもらうのです。

 そんなに細かいことを、と思うかもしれませんが、結婚=生活です。 日常で嫌だったこと、ストレスを感じていたのはどんなことか。 そこをまず認識する。 そして、次はその嫌なことを感じないで済む相手を候補として探せばいいのです。 例えば、疲れて帰ってきてソファーに寝られるのが嫌だったら、ソファーに寝ない人を選べばいい。 外食ばかりの人が嫌だったら、家で食べるのが好きな人を選べばいいのです。

 ただし、自分がストレスに感じることでも、相手が直せるような内容であれば、直してもらえるように伝える。 それでもダメであれば、 「この人ではない」 とわかります。 「直すことができない」 条件もあるでしょう。 例えば 「前の旦那さんが、大学中退ゆえの学歴コンプレックスで嫌だったから、大学を卒業した人がいい」 というようなことです。


自分の希望にあった相手を見極めるには

 「ここは外せない」 という条件がいくつもある場合、どうしたらいいでしょうか。 その人の性格と、こだわりは別のものとして考えなければなりません。 こだわりが多いのは、それだけいろいろな思いをしてきたからでしょう。 過去の経験からトラウマになっていたり、親を恨んでいたり、根深いものもあります。 ただ、いくつもある場合、そのこだわりが相手を選ぶうえで本当に必要なのかを考えて、絞り込んでいきます。

 では、どうすれば自分の希望に見合った相手を見極めることができるのか。 一緒にご飯を食べながら、一つひとつ相手に聞いていけばよいのです。 記者が取材するみたいに、質問をする。 「それで? それで?」 と、話を次々引き出すことができれば、相手のことがわかっていくはずです。

 再婚女性で子どもがいる人は、婚活をするうえで強みになります。 意外に思う人もいるかもしれませんが、子どものいる女性は相手の立場に立ってモノを見ることができる傾向があるからです。結婚相談所でも、 「感謝の気持ちと思いやりを持つこと」 を強調しています。 性格美人がいちばんモテますから。 恋愛は相手の立場になって、相手から自分がどう見えているか、相手は自分をどう思っているかという視点を持たなければいけません。

 ちょっとした仕草でもいいのですが、自分がいろいろやってみて、相手が喜んだら、 「これが好きなんだな」 とわかりますよね。 このように相手の反応をみることは大事です。 さらに、普段から、知らない人でも、 「あの人は困っているのかな」 と気がついたら、手助けする練習をしてほしいのです。 例えば、高齢の女性が買い物で重い荷物を持っていたら、手伝ってあげる。 その点、子育てをしている人は気がつきやすいところがある。 ここに年下の男性はグッとくるのです。

 知り合いで年の離れた夫婦がいます。 38歳女性のCさんは再婚で子どもが7歳、夫のYさんは初婚の24歳です。 入籍後、ふたりの間に子どももできました。 YさんはCさんに普段甘えていますが、用事を頼まれると、子育ても含めてしっかりサポートする。 そしてCさんにほめられて、メロメロになっています。

 子どもがいて再婚する場合は、もちろん、 「子どもをかわいがってくれること」 を最優先に男性を選んでほしい。 「女の性」 で好きな男と結婚するのではなく、子どものためを考えて、子どもの教育や気持ちを優先してほしいと思うのです。

 こんな相談を受けたことがあります。 理想だった年収の高い男性と出会ったものの、 「子どもが食べるのが遅くて、その男性が子どもをたたいた」 と。 その女性には、 「今すぐ別れなさい」 とアドバイスしました。


20代で結婚・離婚し、30代以降で再婚する人たち

 再婚女性が年下の男性と結婚する場合、プロポーズも含め、女性がつねにリードしたほうがうまくいきます。 正確に言えば、男性にプロポーズをしてもらうように、 「仕向ける」 のです。 女性が 「ずっと一緒にいてね」 と言えば、男性は 「ずっといてくれるんだ」 と思い、結婚を意識するようになるものです。

 CさんとYさんのように、年があまりに離れているようだったら、 「(あなたの)お母さん、私のことを見てどう思うかな?」 と、話してみると、相手も恋愛相手として意識するようになるでしょう。 Yさんもそうですが、男の人たちは母親からかわいがられて育っていることが多く、お母さんのように安心できて、お母さんより若いゆえに恋愛対象になる女性に魅力を感じることが少なくないのです。

 最近は女性が再婚で男性が初婚というケースも増えてきています。 厚生労働省の 「平成28年度・人口動態統計特殊報告」 から読み解くと、 「どちらかまたは両方が再婚」 というケースのうち、 「女性再婚・男性初婚」 の構成比は全体の約25%になっています。

 実際、再婚の女性は、男性が年下のケースが多いです。 2~3年前の統計だったと思いますが、再婚の場合、男性が初婚、女性が再婚という組み合わせが50%を超えていました。 意外にも、女性が再婚する場合、男女共再婚同士より、男性が年下初婚という組み合わせが多いのです。

 20代で恋愛結婚して、 「こんなはずではなかった」 と離婚して、30代、40代で再婚というパターンもあるでしょう。 結婚は生涯に一度のみ、とイメージする人はまだ多いかもしれませんが、長寿の時代になりました。 90歳まで生きるとして、70年同じ相手と一緒にいると思ったら、少々うんざりするかもしれません。

 知り合いがアメリカ人男性と結婚しましたが、彼の母親は4回結婚しています。 ですから、旦那さんには、血のつながっていない人も含め兄弟が24人もいます。 兄弟たちみんなと交流があり、仲もいい。 日本も離婚が増えていくと、そのようなことが普通になっていくのではないでしょうか。

 最初は 「子育て婚」、最後は生涯一緒にいる人との 「熟成婚」 でもいい。 ハムみたいな響きですが(笑)。 人生それぞれのタイミングで 「この人と結婚してもいいな」 という人と結婚すればいいのではないでしょうか。 10年一緒にいられたら、 「がんばった」 と言えるでしょう。 半年や1年で終わってしまっては、少々早いかもしれませんが。

 働き方改革と同じで、各自の人生に合わせて、 「結婚改革」 も進んでいくのではないでしょうか。


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