最近ツイッターで、 「若い女の子を口説こうとするおじさんのようなLINEのやり取り」 投稿が、ちょっとしたトレンドになっている。 面白おかしくネタとされつつも、 「おじさんを一括りにして迫害するのはかわいそうだ」 という声も聞かれる。 しかし一方で、日本社会で権力を握るのは多くの場合、中年男性であり、中には繰り返されるセクハラ訴訟のように、権力を笠に執拗なセクハラを迫る中年男性がいるのも事実。 今回は、 「同じおじさんから見ても、どうかと思うおじさん」 についての事例をいくつかご紹介したい。
若い女性の間で流行る 「おじさんLINEごっこ」 |
![]() 「今日は機嫌悪いのカナ?良ければご馳走するよ~( 笑顔マーク×2 )」 ツイッターでちょっとしたトレンドになっているのが 「おじさんLINEごっこ」 だ。 おじさんが若い女性に送る特有の文面を、どれだけ模すことができるかを競い合っている。 LINE上のおじさんメッセージは、とても滑稽に映る。 背景には、 「若い女性と気軽に遊べると思っているおじさんウザい」 という意識があるのだろう。 こうやってLINEがネタにされる程度のおじさんならまだいい。 先日報じられた、新日鉄住金ソリューションズのセクハラ訴訟では、既婚の40代男性管理職が契約社員の20代女性に対して 「恋は始まってるね!」 「僕に触られて嫌じゃなかった?」 などと執拗にメールを送り付け、体の関係を持とうと迫ったことが明らかになった。 会見で明らかにされたメールや要求はあまりにも一方的であり、ツイッター上では、 「絵に描いたような地獄のおじさん」 「これはひどい」 「気持ち悪い」 といった反応であふれた。 「おじさんごっこ」 のような“おじさんいじり”は気の毒という見方もある一方で、日本の社会、企業の中で権力を持つのは多くの場合おじさんであり、ときにはその権力を振りかざし、セクハラやパワハラを行ってしまうおじさんもいる。 普通に生きるおじさんの肩身を狭くさせる存在である。 そこで今回は、 「おじさんから見ても、それはどうかと思うおじさん」 について、おじさんたちに話を聞いてみた。 おじさんたちの悲痛な声に耳を傾けてみよう。 |
おじさんからみても 「引いてしまう」 性欲むき出し 「おじさん」 |
まずは女性方面でどうかと思うおじさんについて。 証言は金融関係の会社に勤める40歳の既婚男性Aさんより。 彼は休日のパチンコが趣味で、生活習慣がたたって肥満や痛風に悩まされているといういかにも 「おじさんらしいおじさん」 だが、女性方面に関しては無欲だという。 「自分よりひとつ上の世代のおじさんたち、まあ社内では地位も自分より上になるわけですが、そういうおじさんたちの性欲の強さというのは、目の当たりにしていてなかなかエグいものがあります。 最もそれを顕著に感じるのはやはり飲み会ですね。 女性社員を横にはべらせるくらいならまだしも、平気で腰に手を回したり、膝の上に乗せたり、興が乗ってくるとキスを迫ったり。 そういったことはどこか相応のお店でやればいいと思うんですが、見境がないんですね。 ただ彼らもある程度見極めのようなものはしていて、セクハラを迫っても許されそうな女性社員をターゲットにするんですね。 おじさんからでもチヤホヤされれば嬉しいと感じそうな女性や、出世のためなら社内キャバ嬢接待も辞さないという女性を狙っている。 そういった狡猾さと、あとスケベさを併せ持っているおじさんを見ると、辟易します」 立場を利用したセクハラの横行は、問題が顕在化していないこうしたケースを含めるとかなりの数にのぼりそうである。 「あと、雑談するとキャバ嬢の話題に終始するおじさんがいます。 あまり飾らないという点では話しやすいのですが、既婚男性だし、歳相応に落ち着いてはどうかと」 趣味や嗜好は他人がとやかく言うべきではないが、それを延々とアウトプットされる側になると、こうした感想を抱いてしまうのも道理だろう。 Aさんはため息をつきながらこう続ける。 「大学の同期はあるメーカーに勤めていますが、彼の社のおじさんは東南アジアに接待旅行に行って毎回買春するのを楽しみにしているらしいです」 数十年前に問題になった日本人の買春ツアーに、いまだに繰り出しているおじさんたちがいるようだ。 |
ネチネチでプライド高く 器の小さい 「小物なおじさん」 |
次に話を聞いたのはメーカー勤務の38歳独身男性Bさん。 多趣味が高じて独り身を貫き、若手とおじさんの狭間に位置する彼だったが、最近は枕やシェーバーから他ならぬ自分の 「おじさん臭」 を痛烈に感じ、また白髪が目立ち始めたことから、自分がついにおじさんの仲間入りを果たしたことを観念して自認したという。 彼は仕事上で垣間見られる、他のおじさんのおじさんっぽさを指摘した。 「日本の企業はなんだかんだで年功序列制を根強く残しているところが多く、うちもご多分に漏れずその1つです。 だからおじさんと呼ばれるくらいの年齢になると、社内でもそれなりの立場に就いている人が多いことになります。 これは本人にとっても下の人間にとっても悲劇だとも思うんですが、人の上に立つような器でない人が役職に就いてしまうんですね。 そうすると、そうしたおじさんたちの小物っぷりがものすごく目につくんです」 「小物なおじさん」 が上司となったとき、器の小ささが顕著に露呈するそうである。 「いわゆる 『嫌われる上司』 を想像してもらえればわかりやすいと思います。 小物なおじさんはまず、人心掌握がものすごく下手です。 説教はネチネチしているし、責任は何かと部下に押し付けようとする。 そのくせ偉そうで、酒の席では自分の仕事論や武勇伝をぶち上げます」 同じ役職付きとして、Bさんはそれらのおじさんを見るにつけ歯がゆさを募らせているようだ。 「彼らにも 『これまで長年勤めてきて今の地位がある』 という根拠に基づいたプライドがあるのでタチが悪いんですね。 そのプライドに固執する様が、世のおじさん像をさらにみみっちいものにしていきます」 |
聞く耳持たず 「嫌われるおじさん道」 をまい進 |
Bさんはそうしたおじさんに 「やり方を少し変えてみてはどうか」 とやんわり指摘したことがあるそうだ。 しかし相手のおじさんは聞く耳持たず。 プライドに依拠して、 「嫌われるおじさん道」 をまい進していく様子である。 「それと、おじさんになってみてわかったんですが、やはり下の世代、若手連中というのは少し怖いんですね。 立場はもちろん、価値観も違うだろうし、何を考えているかわからないところがある。 だから接するには一定の覚悟が必要なんですが、若手にあからさまにおもねったおじさんもいただけない。 たとえば 『KY』 なんて言葉、若い人はいまどき誰も使わないじゃないですか。 若手に擦り寄ろうとして失敗しているおじさんを見ると、痛々しい気分になります」 おじさんが若手に近づこうと努力する姿はいじましい。 その試み自体に罪はなく、むしろ立派なものである。 しかしそれが明後日な方向で空回りしている様を見た別のおじさんが肝を冷やす、といったシーンもあるようだ。 |
咳やくしゃみの音がでかい 小用の時には屁をこく |
若い頃はなんともなかったことが、老化が進むにつれてしんどく感じられるようになる。 おじさんになってくると生きて体を動かすことが段々と苦行の様相を呈してくるのだが、 「だからこそ強く、誇り高く生きようよ!」 と世のおじさんに檄を飛ばすのは43歳のCさん。 彼によれば、体の欲求に正直すぎるおじさんが多いそうである。 「昔は新幹線や飛行機で靴を脱いでいるおじさんを見ると 『ああ、おじさんっぽい…』 と感じ、なんであんなことするのかがわからなかった。 しかし自分もおじさんになってくると、足がむくんでくるのか 『靴はいつだってどこだって脱ぎたい』 と思うように。 なんならクールビズに便乗してずっと裸足で勤務したいと思うくらい( 笑 )。 でもおじさんになった今だからこそ、フォーマルとプライベートはしっかり分けねばならないと思うわけです」 具体的には、以下のような振る舞いがおじさんっぽさを象徴するようである。 「咳やくしゃみなどの音は基本でかいですよね。 たまに痰を 『カーッ』 とやって静かになり、 『あれ?今の痰はどこにいきましたか?』 みたいな。 ものを食べるときにいやに大きい音を立てたりというのもおじさんっぽい。 トイレで小用を足してるときに屁をこくのも、おじさんらしいおじさんの特徴です。 鼻毛や耳毛が未処理のままボーボーに生えているのを見ると 『やっぱりおじさんだからなあ』 という諦めにも似た気分にさせられる」 Cさんは 「同じことでもおじさんがやるのと若い人がやるのでは意味合いが違う」 と指摘する。 「おじさんになると 『靴を脱ぎたい』 といったような、いろいろな生理的欲求が強くなってくる。 しかしそこをグッとこらえてスマートに生きることが、おじさんへのリスペクトを取り戻す唯一の道だと思っています」 スマートなおじさんたるには相応の努力が必要であり、世の 「おじさんらしいおじさん」 たちは体の欲求に屈してデリカシーをなくした男性の成れの果て、といえるのかもしれない。 |
EXILE風に色黒で金髪頭 痛々しい若づくりおじさん |
広告代理店に勤務する46歳の既婚男性Dさん。 職場は社風もあって勤務服の自由度が高い。 社員は皆それぞれの個性を発揮した洒落者であるが、そういった職場に身を置いているがゆえに 「老いに抗うおじさん」 を目にする機会も多いそうだ。 「職場で一番気合が入っていると思うのは、髪を 「EXILE」 にいそうな短髪のくすんだ金色にしているおじさんです。 入念にアクセサリーもいくつかつけていますし、 『この人やけに色が黒いな』 と思っていたら日サロに通っているそうです。 加齢臭を誤魔化すためか香水もきつい。 年相応の貫禄が出ているというよりかは 『若づくり』 しているという印象が先立ちます。 ああいうのって、あまりやりすぎると不潔に感じてしまうんですよね」 若づくりがあからさまだと、逆に歳を取っていることが際立ちやすい。 「最近の流行で裾を短くして足首を見せるパンツスーツがありますが、あれもおじさんがやるのは個人的にはどうかと…。 若い人の溌剌とした足首とおじさんのしょげた足首では、見せているモノが違う」 若づくりおじさんたちの星として君臨する、ある芸能人の影響も根強そうである。 「鉄板ですが、石田純一さんみたいになりたいんだろうなというおじさんたちも一定数います。 しかし清潔感が追いついていないので、素足にローファーを履かれても 『脱いだらすごそう…( ニオイが )』 としか思えない」 若々しくありたいと願うことは男女共通の願いだろう。 若々しさを保ちつつ老齢に伴った魅力を備えうることは決して不可能ではない。 しかし老化との向き合い方を誤ってしまうと、痛々しい若づくりおじさんが誕生してしまうようである。 すべてのおじさんが、世間やネット上で揶揄されているようなおじさんであるわけではない。 一部の 「いろいろな意味でいやらしいおじさん」 たちが、世のおじさん像に深刻なダメージを与えているのである。 そういうおじさんたちが、会社でいいポジションにいたりするのだから、若い者にとっては大変だ。 おじさんたちとて、若い頃に 「こんなおじさんにはならない」 という反面教師を見てきたはず。 いったんわが身を振り返り、いつしか自分が誰かの反面教師になっていないかを確認してみたい。 |