春の訪れとともに増加中!

  

 今や 「心の風邪」 と言われるまでに “メジャー化” したうつ病。 巷では生涯に15人に1人が罹患するというデータもある。 最近は 「デ ィスチミア症候群」 なる、一筋縄ではいかない新型も出現。 春の足音とともに、職場にそんな方々が現れたらどうすればよいのか。

 あなたは企業の管理職だ。 4月になって他部署から異動してきた新たな部下が、いきなり 「ここで働くのは嫌です」 と言い出し、前の部署に戻してくれと訴えてきた。 いくら説得しても聞き入れず、次第に休みがちになった部下は、間もなく 「うつ病」 と診断され、休職扱いとなった。
 しばらくすると彼は 「リハビリ出勤」 を始めた。 当面残業はできず、周囲がサポートする態勢が続く。 仕方がないとは思いつつ、気になるのは当人の態度だ。
 《 自分は病気だから当然 》
 そんな素振りが、ありありと見てとれる。
 そのまま夏を迎え、夏休みが明けて久々に出社してきた彼の肌は、真っ黒に日焼けしていた。 思わず 「どうした?」 と訊くと、 「ハワイに行ってました」。 屈託のない返事が返ってきた。
 とうとうあなたは堪忍袋の緒が切れて、こう怒鳴った。
 「いい加減にしろ。 君はただサボつているだけじやないのか!」
 オフィスは水を打ったように静まり返った……。
 この話は、決してフィクションの類ではない。 今やどの職場でも起こりうる展開なのだ。 世間で理解されている 「うつ病」 の症状とは全く異なるため、あなたは怒りを爆発させた。 が、多くの人々がイメージしているのは 「メランコリー親和型」 と呼ばれる 「旧型うつ病」 であり、この部下のケースもまた、実は歴としたうつ病の一種なのだという。
 メランコリーとは 「憂惨」 を意味する。 真面目な人ほど罹患しがちで、患者は 「悪いのは私だ」 と、ひたすら自分を責める。 常に気分が優れず、自信喪失から意欲を失い、ついには外出できなくなる ……。 これが従来から知られるうつ病の典型例だったはず。 一方、前述の部下の場合。
 「この症例は、旧型に対して “新型うつ病” と言えます。 なかでも、いわゆる 『デイスチミア症候群』 という分類に当てはまるものです」
 こう解説するのは、精神科医で京大非常勤講師の片田珠美氏である。
 ディスチミアは 「気分変調」 「不機嫌」 などと訳され、旧型と同じく意欲低下の症状は認められるのだが、最大の特徴として、
  ① ストレスとなる環境から離れれば元気になる
  ② 原因を 「他者」 に求めて非難する
   ―― この2点が挙げられるというのだ。
 さきの部下は、 ① のためハワイに遊びに行くことができた。 納得のいかない異動先に出勤さえしなければ体調は良好なのだから、休日にはショッピングを楽しみ、恋人とデートもできる。 旧型うつ病の患者は、なかなか自身の罹患を認めたがらず、何とか出社しようと無理をし、それが叶わずにさらに落ち込むという悪循環に陥る。 が、新型の場合は罹患を自覚し、その理由まできちんと “分析” している人が多く、それが ② の 「他者の非難」 へと繋がっていく。
 彼らは異口同音に、
 《 私の能力を、古い体質の会社が認めようとしない 》
 《 そもそも、こんな仕事をするために社会人になったのではない 》
 《 上司は私の適性を分かってくれない 》
 と、勤務先の上司や同僚への不満を漏らす。 旧型うつの特徴を 「自責的」 とすれば新型は 「他責的」 といえ、さきの片田氏によれば、押し並べて自身への愛着が強く、不都合な状況が生じるや他人に責任を転嫁し、自己を正当化する傾向にあるという
 「新型に罹患する人は 『成功体験』 にとらわれている場合が多い。 高学歴で就職してからもずっと頑張り続けてきたタイプです。 そのため幼児期のナルシシズムから脱し切れていない人も珍しくないのです」 ( 片田氏 )
 挫折を知らぬまま自己愛が肥大化し、理想とプライドが高いため、自分の意に沿わない状況に耐えられず、 「私ほど優秀な人間が、なぜこんな仕打ちを受けるのか」 と、過剰反応をみせてしまうのだという。
 片田氏が続ける。
 「私の患者に20代後半の独身女性がいました。 名門国立大の理系を卒業し、一流企業に就職という 『成功体験』 を持つ人で、職場では開発部門に配属されたのですが、5年目に営業への異動を言い渡されたことで混乱してしまったのです」
 新しい職場では年下の女性社員に仕事を教えてもらうことも多く 「ろくな大学も出ていないのに」 と悔しがる日が続いたという。
 1ヵ月後 「早く慣れて」 と上司に注意されたことで、彼女は 「頑張ってきた自分を誰も理解してくれない」 と激しく落ち込んだ。 翌日は会社を欠勤し、そのまま片田氏のもとを訪れた。
 「抑うつなどの症状が認められたため診断書を作成し、3ヵ月の休職が決まりました。 診察中、彼女は 『病気になったのは私を飛ばした会社のせい。 前の部署に戻らないと治らない』 としきりに訴えていました」
 会社との交渉を始めた彼女は、片田氏に 「回復するためには配置転換が必要だと診断書に書いてほしい」 ど要求してきたという。
 「もとの部署に戻っても回復する保証はないと説明したのですが、彼女は怒り出してしまった。 『患者のためにできるだけのことをするのが医者でしょう。 そういう診断書を書いてくれる医者を探します』 と言って、出ていってしまいました」




 医療の現場では 「新型うつには抗うつ剤が効きにくい」 との声も出ている。 SSRI( 選択的セロトニン再吸収阻害薬 )との英略語は知らない方でも、プロザックという薬の名は耳にしたことがあるかもしれない。 1988年に米国で発売されると “うつ病の特効薬” として大きな反響を呼んだ薬である。 それでも 「抗うつ剤は何種類もありますが、どれも新型うつ病には確たる改善をもたらさないのです」 ( メンタルクリニック関係者 )
 例えば、愛する夫を亡くした妻が一日中塞ぎ込んでいるとする。 こういう場合は抗うつ剤が効くことも多いのだが、新型うつは 「納得のいかない異動先」 「どうしても好きになれない上司」 といった “環境” が最大の原因だ。 薬を飲み続けても、周囲からのストレスに変化は生じない。
 「端的に言えば、抗うつ剤を飲むよりも会社を辞めたり転職したりする方が、よっぽど効果がある場合も多いのです」 ( 同 )
 前述の通り、新型の患者には自覚症状を伴う人が多い。 もちろん彼らも強い不安感に悩まされてはいるのだが、かつてほどネガティブなイメージはない。 何といっても世間では 「うつは心の風邪」。 そうした “うつ病の一般化” が治療を後押しするケースもあるが、一方で彼らは罹患を “挫折” の言い訳に使うことがあり、その場合は厄介だ。 というのも、長期休職など 「疾病利得」 と結びつける可能性まで孕んでいるからだ。つまり、
 《 私は病気なのだから、給料を貰いながら休む権利がある 》
 という発想だ。 うつ病に詳しいジャーナリストの海部隆太郎氏が、新型うつに対する企業の 「懸念」 を解説する。
 「その他責的な特徴から、労務管理を巡る訴訟が増加するのではないかと心配する企業が増えています」
 海部氏によれば、会社員の新型うつ病患者は、過保護で育った 「ゆとり世代」 が少なくないという。 いわゆる 「ナンバーワンでなくオンリーワン」 を “美徳” とする社会で育った ため、競争の意識に乏しい。 加えて 「ワークライフバランス」 ( 仕事と私生活の調和 )などの観点から、労働者としての権利を重視する傾向も強い。 だが、ひとたび企業に入ればそこは激しい競争社会。 そのギャップが、新型うつ病の増殖に加担しているというのだ。
 実際には、専門医の間でも新型うつ病の見解は分かれている。 今すぐそうした診断書が乱発され、裁判で証拠として法廷に出される可能性は低いとはいえ、
 「時代の変化に伴い、特に若手社員の労働観が変わってきています。 それに対応できなければ、新旧型問わず、職場のうつ病は増加するばかりでしよう」 ( 同 )
 うつ病対策を講じている企業は決して少なくないが、その大半は 「わが社はこれだけやっています」 というアリバイ作り、果ては訴訟対策という 「後ろ向き」 の姿勢に過ぎないという指摘もある。
 では 「前向き」 な企業は、どう立ち向かおうとしているのか。




「新型うつ病への対策は、まだ分からないというのが正直なところですが、とにかく社員のメンタルヘルスケアをしっかりやっていくことに尽きると思います」
 率直に語るのは、千葉県市川市の 「サンセットコーポレイション」 で人事を担当する合澤東奈氏である。 同社は古書や中古ゲームソフトなどの販売店 「エンターキング」 を経営している。
 合澤氏は一昨年、産業カウンセラーの資格を取得した。 その勉強中に養成講座で 「新型うつ病」 のレクチャーを受けた彼女は、以前に勤務していた広告代理店で出会った後輩の姿を思い浮かべていた。
 ミスをすれば上司は怒る。 これは合澤氏にとって常識のはずだった。 だが自分が後輩を注意しても、言うことを聞いてくれない。 「私には指導力がないのだろうか」。 悩み抜いた。
 合澤氏が体得したのは、新人を 「認める」 という姿勢であった。
 「上下関係しか存在しない職場では、やはり社員同士のコミュニケーションは減ります。 一方、社員全員が互いを 『認める』 雰囲気があれば、その風通しは格段に良くなるはずです」 ( 同 )
 そうした指摘を裏付けるようなデータがある。 メンタルシック( 心の不具合 )の発生率に関するもので、作成者は厚労省でも医療機関でもない。 民間企業の 「オリンパスソフトウェアテクノロジー」 ( 以下 「オ社」 )が、1990年代後半の時点で自社の発生状況をまとめたものである。
 それによると50代はわずか1.8%なのに対し、20代は11.5%、40代では19.3%にまで跳ね上がる。 そして30代に至っては61% と、半数を超えているのだ。 データの分析欄には、こうある。
 《 戦後の復興期に思春期を迎えた50才以上の年代は、環境の変化の中で育ったため一般的にストレス耐性が強いが、逆に40才以下の年代は安定したバブル期以降に思春期を迎え、ストレス耐性が弱い 》
 現在の企業風土は50代以上の価値観で作られているため、若い世代にとってはカルチャーギャップが非常に大きい。 いきおい組織内の重圧は、管理職として責任を担い始める30代を直撃することになるのだという。
 カメラや内視鏡など、オリンパス製品のソフトウェアを開発しているオ社の天野常彦社長が言う。
 「うつ病とのはっきりした関係は不明なのですが、弊社は2005年に退職率が7%を超えました。 労働環境に問題のある可能性が浮上したため、全社員一丸となってこの原因を探ることにしました」
 調査を始めると、より本質的な要因が浮き彫りになってきた。 それは社員の抱える 「不安感」。 特に、リストラヘの怯えは顕著であったという。
 「かつて系列銀行に守られていた日本の企業は、過度の利益追求に走らず、穏やかな職場環境と終身雇用という安心感を社員に与えていました。 その利点が、改めてクローズアップされたのです」 ( 同 )
 オ社では 「メンタルケア相談室」 の設置にとどまらず、社風の改革にも手をつけた。 旧来の 「日本型経営」 の長所を活かし、現代にマ ッチさせようと試みたのだ。
 必要とあれば他社への転職支援も行い、リストラの恐怖をまず一掃した。 昇進試験にあたっては、その同僚や部下まで参加させ、不透明な情実人事を排除。 さらに時代に逆行して退職金を増額し、働き続ける社員を守る姿勢を示しながら、家族にまで 「社内報」 を届け、行事を充実させるための補助金も強化した。
 「誰もが働きやすいオフィスとは何か、それを全員で考えたところ、面白いことにこういう結論に達したのです。 欧米でも過度の競争主義に反対するデモが拡がっていることを考えれば、当然の結果なのかもしれません」 ( 同 )
 こうした取り組みは “企業のリアリズム” とも上手く合致した。 オ社では休職者数や休職期間を減らすことに成功し、その対応に必要な 「人事異動の会議」 というコストまで削減。 さらには社員のモチペーションが上がり、生産性も3割ほどアップしたというのだ。
 従来型であれ新型であれ、うつ病であることには変わりはない。 しかも 「出社できない自分が情けない」 と自責の念に駆られていた従来型の会社員が、よくよく聞いてみれば実は上司や会社に不満を抱いていた一種の 「新型患者」 であったことが明らかになるケースも珍しくない。
 こうした職場の環境にまつわる問題については、極めて示唆に富んだフレーズがある。 さきの片田氏が、留学先のパリ第8大学で精神分析を学んでいた頃、フランス人の精神科医がロにした言葉である。
 「その医師は、 『みんなちょっとだけ病気なんだよ』 と言ったのです。 完璧な人間などいません。 誰でも悩みを抱えていて、心に少し病んだところがあって当たり前なのだ、と」
 身の程をわきまえていないように映る新型うつ病の患者も、自分は完璧でなければならないと思い込むがゆえに、却って苦しんでいる。 職場の誰もが等しく不完全な存在であり、いっそ 「食い扶持を稼ぐ」 ためにオフィスヘ出社しているのだと思い切れば、無駄な対人ストレスは減らせるというのだ。


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