( 2018.12.14 )

   か?


 東名高速道路あおり運転事件で、自動車運転死傷処罰法違反( 危険運転致死傷 )の罪に問われた石橋和歩被告(26)に横浜地裁( 深沢茂之裁判長 )は14日、あおり運転と死亡事故の因果関係を認め、懲役18年( 求刑・懲役23年 )の判決を言い渡した。
 石橋被告の蛮行が2人の生命を奪った事実は明白なのに、罪に問えるかどうかが公判の争点だったことは一般の方々に分かりにくく、理不尽に感じたに違いない。 そんな中、良識ある判断をされた裁判員には敬意を表したい。 現行法でも 「殺人罪」 の適用は十分に可能との指摘もあったが、神奈川県警と横浜地検は適用を見送った。 しかし、あおり運転の末に相手を死亡させたとして殺人罪で起訴した例はある。 被害者は通り魔に殺されたのも同然で、誰もが納得できる重い刑罰の適用か、新たな法の制定が求められる。


「人間的な感覚」 が欠落?


判決のあった横浜地裁判決のあった横浜地裁
 判決によると、石橋被告は昨年6月5日夜、パーキングエリアで静岡市の萩山嘉久さん(当時45)から駐車方法を注意されて逆上。 萩山さん一家4人が乗るワゴン車に妨害を繰り返し、東名高速の追い越し車線上に停車させ、大型トラックによる追突で萩山さんと妻の友香さん(当時39)を死亡させたうえ、姉妹2人を負傷させた。

 誤解を恐れずに言えば、石橋被告はいま、日本中の憎悪を一身に浴びていると言っていいだろう。 これまでにも飲酒やひき逃げなどで、複数人の生命を奪った悪質な交通事件はあった。 しかし、ここまで連日、大きく扱われた事件は記憶にない。

 ではなぜ、この事件がここまで注目され、石橋被告に憎悪が向くのか。

 テレビの映像でご覧になられた方も多いだろうが、実況見分であくびを何度も繰り返し、笑みを絶やさないふてぶてしい態度。 マスコミの面会要請に 「俺と面会したいなら30万からやないと受つけとらんけん」 ( 原文ママ )と金銭を要求するなど、かなり人間的な感覚が欠落しているという印象を受ける。

 公判でも反省しているとは微塵も感じられない姿勢に、取材した司法担当記者も一様にあきれ果てていたようだ。

 そして何より、弁護側が無罪を主張。 しかも、その無罪主張が荒唐無稽なものではなく、専門家によっては 「罪状が成立するのは困難ではないか」 との指摘もあり、ネットでは関連記事にかなり過激な書き込みも見られた。


なぜ「無罪」主張が可能なのか。

 危険運転致死傷はもともと 「運転中の行為」 に対する処罰を前提にした法律で、飲酒や覚せい剤使用、大幅な速度超過など 「通常の運転ができない状態」 を対象にしている。

 今回、石橋被告は停車し、降車した状態だった。 この点が一部専門家から 「困難」 と指摘された理由だ。

 成立して日の浅い法律だが、法の運用は厳格でなくてはいけない。

 しかし、検察側としても今回の事件で無罪放免とするわけにはいかない。 そこで予備的訴因として、死亡した夫婦らを 「現場」 にとどまらせた行為について 「監禁致死傷罪」 を追加した。

 では、夫婦らは 「監禁」 された状態だったかを考えると、 「これも厳しい」 との見方があった。

 今回の判決は危険運転致死傷の成立を認めたが、厳格に法を適用すると 「無罪」 の可能性があったのだ。 2人の生命を奪い、罪の意識さえ感じていないような姿勢に、無罪の可能性…。 世間の憤りが噴出するのは当たり前だった。


別の器物損壊や強要未遂も

 初公判からの動きを追ってみよう。

 3日の初公判。 石橋被告は夫婦2人が死亡した事実関係は認めたが、弁護側は 「妨害運転と夫婦の死亡に因果関係はない」 と主張した。

 5日の第3回公判で石橋被告は 「カチンときた。 むかついて追いかけた」 と供述。 事故が起きるのではないかとの予見性( 争点部分 )には 「考えていなかった」 と述べた。 一方で、検察側の 「夫婦に落ち度はあったのか」 との尋問には 「ないと思う」。 あおり運転を繰り返した理由に対しては 「勢いじゃないですかね」 と他人事のように答えていた。

 6日の第4回公判では、東名あおり運転事件とは別の器物損壊や強要未遂の罪計3件を審理。 東名あおり事件の後にも、別の車両にあおり運転をした後 「殺すぞ」 と怒鳴り、中国自動車道で昨年5月、山口県警のパトカーにあおり運転をするなど、信じられないような事実も次々に明らかにされた。

 また、元交際女性の 「昨年4月から8月末までに同様のトラブルが10回以上あった」 とする供述調書が読み上げられた。 起訴された3件について、検察側は 「いずれも自分の車が追い越されたことに腹を立て、文句を言おうと無理やり止めさせた」 とし、その後も 「降車を要求したり、ドアを蹴ったりして執拗かつ悪質」 と指摘した。

 7日の第5回公判。弁護側から 「どう償うか」 と問われ、あきれたことに 「分からない」 と回答。 謝罪文には 「事故がなければ彼女と結婚する予定でした。 彼女は体が弱く自分が支えたいと思っていたので、事故のことはお許しください」 などと記されていた。

 謝罪文の内容を聞いて、耳を疑った。 置かれた立場をわきまえない、あまりの身勝手さ、低い思考レベル、幼稚さに精神的な “異常” さえ感じ 「もしかしたら、心神耗弱で罪に問えないのではないか」 とさえ感じてしまった。

 しかし、この事件に対する世間の憤りは、石橋被告本人の言動だけではなく、その “行為” を罪に問えない可能性があった理不尽さにあるのは間違いない。

 そして、ネットの書き込みなどでは、 「殺人罪に問えない」 ことに対する不満が渦巻いていた。

 なぜ問えないのか。


「未必の故意」で問えた殺人罪

 結論から言うと 「問えなかった」 のではない。 「問わなかった」 のだ。 ある全国紙社会部デスクと見解は一致した。 「交通法規に固執したからだ」 と。

 高速道路の追い越し車線に無理やり割り込み、停車させた。 そこに高速で走行している後続車が追突する可能性…。 その結果は分別が付く年齢なら子どもでも理解できるだろう。

 「未必の故意」 という言葉は聞いたことがあると思う。

 確定的な意思を持って犯罪を行うのではなく、結果的に犯罪行為になっても構わないと思って犯行に及ぶことを指す。 殺人事件の場合、明確な殺意がなくても、相手が死ぬ危険性を認識していれば、故意として殺人罪が適用される。

 今回の事件は 「未必の故意」 が成立しないと言えるだろうか。 前述の通り、幼稚で身勝手、低い思考レベルではあるが、石橋被告はまがりなりにも普通に社会生活を送っていた。

 第5回公判で、石橋被告の車に同乗していた元交際女性は 「高速道路なので、ひかれて最悪は亡くなると思った」 と語っていた。 石橋被告をかばうどころか、未必の故意があったと明言したのだ。

 もし成立しないと言うなら、それは未必の故意の不成立ではなく、前述の通り、心神耗弱だった場合であろう。 しかし幼稚で身勝手、低い思考レベルではあっても、少なくとも心神耗弱だったようには見えない。

 では、あおり運転で殺人罪の適用はやはり不可能なのだろうか。

 実は7月、オートバイの大学生をあおり運転の末に追突して死亡させたとして、大阪府警が乗用車を運転していた警備員の男を殺人容疑で逮捕。 大阪地検堺支部が殺人罪で起訴している。

 前述の全国紙社会部デスクは 「( 今回の事件発生当時 )前例がなかったとはいえ、神奈川県警と横浜地検はあまりに腰が引けていた。 確かに検察は前例踏襲主義で、前例がない場合は二の足を踏む傾向にあるが、むしろ前例を作るためにも今回は挑戦すべきだった」 と話した。

 そして 「殺人罪での起訴のほうが、事件として分かりやすかったと思う。 社会的常識を備えた裁判員なら、殺人罪でも理解してくれたと思う。 弁護側も無罪主張ではなく、罪の軽減・情状酌量狙いだったかもしれない」 と付け加えた。


普及するドライブレコーダー

 この事件を契機に、大きく変わった点が2つある。

 1つは警察庁があおり運転の摘発強化を全国の警察に通達し、摘発件数が飛躍的に伸びたことだ。

 警察庁によると、1~6月に高速道路や一部自動車専用道路で前方の車両と車間距離を詰め過ぎたなどとして摘発した件数は6130件に上り、昨年同期の3057件から倍増した。 一部の警察本部はヘリコプターを投入し、警察車両と連携した取り締まりを実施。 6月には全国一斉の取り締まりも行ったという。

 もう1つはドライブレコーダーの普及だ。

 一般社団法人ドライブレコーダー協議会によると、2017年度下半期の出荷実績は約181万7000台で、上半期の約84万8000台から倍以上に伸びた。

 実は小生も、あおり運転を受けたことがある。

 新人記者だった三十数年前、九州に赴任した時だ。 そのことを担当する警察署の交通課長( 警部 )に告げたところ、 「東京のナンバーを付けてるからじゃねぇかな。 早めに陸運局に行くこと( ナンバーを交換すること )をお勧めするよ」 とアドバイスされた。 確かに、ナンバーを変えてから被害はなくなった。

 そして、あおり運転が原因と思われる事故も何度かあった。

 峠で高齢女性がスピードを出し過ぎてハンドル操作を誤ったとされる死亡事故。 当時、死亡事故は大きなニュースがなければ県内版トップになることがあった。 現場に写真を撮りに行き( こんな場所でおばあちゃんがスピードを出すかな )と疑問を感じた。 前述の交通課長に疑問をぶつけると 「俺も自爆じゃないと思う。 でも、証拠がないとどうしょうもねぇんだ」。 ドライブレコーダーがあったら、 “自損事故” で終わっていただろうかと今でも思う。

 この交通課長は 「車ってなぁ、拳銃や刃物より殺傷能力が高いんだ。 そんな凶器に乗って乱暴な運転はしてほしくないんだけどなぁ」 とも話していた。

 萩山さん夫婦の長女(17)は10日の公判に意見書を提出した。 「この事件がきっかけで、ドライブレコーダーを付ける車が増えてきて、あおり運転が減ったと聞いています。 両親の死が無駄でなかったことがせめてせめてもの救いです」

 「家族みんなで死ねばよかったと何度も思った」 とのくだりでは、検察官が目を潤ませ、言葉に詰まる場面もあった。

 「私はキリスト教の学校に行っていて、人を許しなさいと教えられていますが、これについては許せないし、許していいか分かりません」 などとし、厳罰を望んだ。

 石橋被告だけではない。 あおり運転で身に覚えのある方は、長女の慟哭どうこく懺悔ざんげし、2度としないと誓ってほしいと思う。





( 2018.08.22 )


 ドラレコが逮捕・起訴の決め手となった今回は 「あおり運転した側」 のドラレコの記録が逮捕・起訴の決め手となった。
 オートバイの大学生にあおり運転をした末に乗用車を接触させ死亡させたとして、大阪の男が殺人罪で起訴された。 あおり運転で殺人罪が適用されるのは 「極めて異例」 と報道されているが、まず間違いなく 「初のケース」 だろう。 実は、これまでもあおり運転が原因で相手を死に至らしめたケースは枚挙にいとまがない。 では、なぜ今回、殺人罪が適用されたのだろうか。 事件の背景を探った。


殺人罪の立証には高い壁


ドラレコが逮捕・起訴の決め手となった。今回は「あおり運転した側」の
ドラレコの記録が逮捕・起訴の決め手となった
 そもそも 「殺人罪」 とは何か。 事件を検証する前提として、殺人罪の定義を確認しておきたい。

 刑法では、明確な殺意を持って相手の生命を奪うこととされている。 殺害方法は射殺でも、刺殺でも、絞殺でも、毒殺でも、焼殺でも、もちろん乗用車でひき殺すのでも構わない。 方法は問わず、捜査当局は 「殺す」 意思があったと立証しなければならない。 殺意がなく偶発的に死んだのであれば傷害致死罪、過失で死なせてしまった場合は過失致死罪( もしくは業務上過失致死罪、重過失致死罪 )になる。

 よく報道等で、警察が殺人容疑で逮捕した容疑者の処分で、検察が 「殺意の立証は困難と判断した」 と殺人罪適用見送りの理由を発表したニュースを見て、一般の方々が 「なぜ?人を殺したという事実は同じでは?」 と腑に落ちないケースがあると思う。 これは、容疑者が 「殺すつもりはなかった」 と殺意を否認し、警察と検察が殺意を立証できなかったためだ。

 「殺すつもりはなかった」 と主張する容疑者の供述がうそだったとしても、目に見えない人間の意思を具体的に証明するのは、非常に難しい。 だから、捜査当局は証拠を積み重ね、相手が死ぬと認識していた 「確定的故意」 か、少なくとも死んでも構わないという 「未必の故意」 を立証しなくてはならない。

 今でこそ科学的捜査の発達でさまざまな証拠の組み立てが可能になったが、以前は供述頼みという時代で、自供は 「証拠の王」 とされていた。 そのため、無理に自供を迫るなど冤罪を生む原因にもなった。 今でも自供は重視されるが、物的証拠を補完する位置付けでしかない。

 平たく言えば、裁判所の判事に 「殺意を否認しているけど、さすがに死ぬって分かっていた」 と認識させる必要がある。 罪を軽くしようとしたり、言い逃れのために否認したりするケースも多いので、頻繁にあるわけではないが、殺人罪で起訴された被告が判決で 「殺意の立証が不十分」 として裁判所が殺人罪の認定を避け、傷害致死罪にとどめることは稀にあるのだ。


捜査1課ではなく交通捜査課

 今回の事件は報道各社が伝えた起訴内容によれば、大阪府堺市南区の警備員、中村精寛被告(40)は7月2日午後7時半ごろ、堺市南区の府道で、大学4年の男性=当時(22)=のバイクに追い抜かれたことに立腹。衝突すれば死亡させると認識しながらバイクに追突し、頭蓋骨骨折と脳挫傷で男性を死亡させたというものだ。 逮捕時は 「殺害しようと思ったわけではない」 と容疑を否認していたが、大阪地検堺支部は起訴内容について認否を明らかにしていないとされる。

 事故を巡っては、中村被告はバイクに追い抜かれた直後に急加速し、約1キロにわたりクラクションを鳴らしたり、パッシングしたりするあおり運転を継続。 追突した後は 「はい、終わり」 と、満足したような音声がドライブレコーダーに残っていた。 追突時の速度は時速100キロ前後で、基準値以下ながら呼気からアルコールが検出されたという。

 今回、事件のポイントは2つある。

 1つは、大阪府警交通捜査課が7月2日、中村被告を自動車運転処罰法違反( 過失傷害 )容疑で現行犯逮捕したものの、翌3日に容疑を殺人と道路交通法違反( ひき逃げ )に切り替えて再逮捕に踏み切ったことだ。

 殺人罪と言えば、一般の方々は捜査1課をイメージするだろう。 前述の通り、殺人罪で容疑者が否認している場合、明確な殺意の立証が必要だ。 だから、捜査1課は否認する場合に備え、容疑者を特定してもすぐ逮捕することはなく、証拠を隠滅されないよう、また気付かれないように24時間態勢で行動を確認。証拠がそろった段階で逮捕状を請求・執行するのが常道だ。

 しかし今回、捜査したのは交通捜査課で、事故の翌日に殺人罪を適用したというのが、警察担当記者らを驚かせた。

 交通捜査課は本来はひき逃げなどを担当するセクションで、事故の状況や原因を調べ、運転者が逃げている場合は車を特定するのがメインの仕事だ。 交通事故を捜査する過程で、鑑識課が 「事故にしてはおかしい」 と気づいたり、不自然な保険金が掛けられていたりして、事故ではなく 「車を凶器に使った殺人だった」 などと判明したケースは散見されるが、あおり運転の末の殺害行為だったと判断した例は出てこない( 未遂はある )。


ドライブレコーダーが決め手

 もう1つは、ドラレコが逮捕・起訴の決め手となったことだ。

 一般的なドライバーであればドラレコは事故に巻き込まれた場合、相手が自分に有利なようにうその証言をしたときに備え、証拠として残しておこうという意味で装着している方がほとんどだろう。 しかし今回の事件では、そのドラレコに自分の悪質な運転や発言が証拠としてキッチリ記録されていた。 このドラレコに残っていた発言は 「しまった。 やっちまった」 ではなく、明確な 「やってやったぜ」 というイントネーションだったと推測される。

 しかし、これだけ注目されるべき事件なのに、続報がほとんど出てきていない。 中村被告は起訴内容を否認しているとみられ、当然、弁護人もその意向に沿った主張をするはずだ。 だから検察側は公判維持のため 「犯人しか知り得ない事実」 などを公表せずにおきたい意向があるのだろう。 初公判での 「隠し球」 が注目される。

 ではなぜ、前例がなく難しいとされる事件の場合、高いハードルは避ける傾向にある捜査当局が、殺人罪適用に踏み切ったのか。

 疑り深い見方だが、社会にアピールできる事件であり、手柄にしたいという思惑はあっただろう。 同時に、これまでは交通事故は罰則が低かったが、飲酒やあおり運転など悪質なケースは事故ではなく事件として扱い、より厳罰を科すべきだという風潮が生まれたことだ。

 あおり運転を巡っては昨年6月、神奈川県大井町の東名高速道路で石橋和歩被告(26)=自動車運転処罰法違反( 危険運転致死傷 )の罪で起訴=がサービスエリアで駐車方法を注意されたことに腹を立て、ワゴン車を追尾。進路をふさいで追い越し車線に停車させ、そこにトラックが追突。 ワゴン車の夫婦が死亡、娘2人が負傷した事件がある。

 この事件などを受け警察庁は今年1月、あおり運転など危険で悪質な運転を抑止するため、全国の警察に厳正な捜査の徹底と積極的な行政処分を求める通達を出した。 実は石橋被告が起訴された危険運転致死傷罪も、1999年に東名高速で飲酒運転のトラックに追突され、女児2人が死亡した事件を受けて2001年に新設された法律だ。

 やむにやまれぬ事故でももちろんあってはならないが、いまや悪質で危険な運転をする者は積極的に断罪・処罰せよというのが社会の意思なのだ。


感情を制御できない幼稚性

 そもそも、なぜこうした悪質で危険なあおり運転をするのか。

 かつて地方で警察担当記者をしていたとき、長く交通事故捜査を担当した警察幹部( 現在は引退 )にじっくりと話を聞く機会があった。 あおり運転の場合、というより、当時は 「なぜ、ハンドルを握ると人格が変わる人がいるのか」 と尋ねた記憶がある。 その元警察幹部は面白い分析をしていた。

 人によっては、自分の体より何倍も大きな車を動かし、人間の身体能力を遥かに超える速度で走行できることに興奮してしまう、いわゆる 「アドレナリンが出た状態」 になる。 だから普段から攻撃性の強い人物はさらに攻撃性が強くなり、普段は物静かな人物が打って変わって攻撃性を出すようになるのだという。

 普段と変わらない人はもちろんいるが、そういえば逆に温厚になるというケースは聞いたことがない。 しかし、それも若いときで、加齢とともに運転にも慣れ、落ち着くことが多いと言っていた。

 元警察幹部は交通機動隊の経験も長く、暴走族の取り締まりも担当したが、若い頃にヤンチャだった彼らが加齢とともに落ち着く傾向があるのも同じという。 やはり人間の身体能力を超える速度が出る車やバイクに乗ることで気が大きくなり、攻撃性が増すらしい。 ハンドルを握ると人格が変わる人も、暴走族も、いずれも自分の感情をコントロールできない幼稚で気の小さい人という共通点があるそうだ。

 いずれも経験による傾向を語ってもらっただけで、精神科医や心理学者ではないから本当のところは分からない。 ただ、若い頃、時間が空いているときは勉強のためなるべく裁判を傍聴するよう心掛けており、交通事故の裁判も多く傍聴した。 あおり運転で事故を起こした被告が、いずれも気の弱そうなおとなしいタイプだった記憶があるから、そういう傾向はあるのかもしれない。

 ともあれ、飲酒やあおり運転など、自分をコントロールできない人物が運転する車は文明の利器ではなく、もはや走る凶器でしかない。 そんな凶器による犠牲者・遺族にとっては通り魔に殺されたのも同然で、 「単なる事故」 で納得できるはずもない。

 警察庁の通達の通り、善良な一般市民を守るため、悪質で危険なドライバーを根絶してほしいとの願いは、犠牲者や遺族だけではなく、世の中すべてに共通するはずだ。 かつて多くの裁判を傍聴し、遺族の慟哭に触れてきた立場としては、悪質ドライバーは徹底的に駆逐してほしいと切に願う。


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