( 2016.11.09 )
隣は何をする人ぞ




紙面を撮影して投稿したユーザーは、「これが日本の最先端の近所付き合いです」 とツイート

 新聞に投稿された 「マンション内ではあいさつをしない」 というルールが話題になっている。

 11月4日付の神戸新聞に掲載されたのは、マンションの管理組合理事をしているという56歳男性による投書。 「住民総会で、小学生の親御さんから提案がありました。 『知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内ではあいさつをしないように決めてください』。」 という内容だ。 ほかの住民たちも、 「あいさつが返ってこないので気分が悪かった。 お互いにやめましょう」 と賛同し、 「あいさつ禁止」 が決定してしまったのだとか。

 この紙面を、ある Twitter ユーザーが撮影し、画像とともに11月4日に投稿すると、8日12時時点で2万8000以上リツイートされるなど反響を呼んでいる。

 Twitter では、

 「うちの近所じゃ小学生が先手を打って挨拶してくる( 逆の発想らしい )」
 「普段から挨拶し合って住民同士のコミュニケーションが取れている集合住宅は、空き巣などの被害が少ないんですけどね」
 「挨拶も変わったんだなぁ …… w ただ、不審者はコミュニティー( 近所付き合い・挨拶・人の目 )を嫌うんで、むしろバリバリした方が防犯的には良いと思うんですけどね」

 など、むしろ防犯上あいさつはしたほうが良いのではという声や、

 「何と淋しい人生だろう。 お互いに笑顔で元気良く挨拶しようよ。 その方が気分が良いよ」
 「挨拶するのは社会生活をするうえでの基本中の基本だと思うんですがね。 どうなっちゃうんですかね」
 「『知らない人』 でも毎日挨拶を交わすことで、だんだん 『知ってる人』 になっていくと思う。 挨拶せずに逃げ回ってたら、 『知らない人』 はいつまでたっても 『知らない人』 のままだ ……」

 と、世間の世知辛さを憂う声が続出。 一方で、

 「する方もされる方も気分が悪い挨拶はやめる。 きわめて合理的でまっとうなことだと思いますよ」

 と 「あいさつなし」 を支持する声もあるが、こちらはやや少数派のようだ。

 防犯意識の高まりで、 「あいさつ」 というコミュニケーションの根本も否定されてしまうのだろうか?

 ちなみに挨拶禁止にするザマスって言ってる人は、マンション内で擦れ違っても全く挨拶してこない人間を 「声をかけてこない、この人は安全だ」 と認識するってことなんだろうか。 …… 病んでんな。



( 2016.12.05 )


 「知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、あいさつしないように決めて」 ──。 神戸市のマンションで、小学生の保護者が提案し、マンション内のあいさつが禁止になったという地元紙への投書がネット上で賛否を呼んでいる。 神戸市では平成26年、路上で声をかけられた女児が殺害される事件が発生。 同市教育委員会はあいさつ運動を進めつつ防犯指導も行う。 あいさつと防犯について、明石要一千葉敬愛短大学長と、セコムIS研究所の舟生岳夫氏に見解を聞いた。


  ( 千葉敬愛短大学長 明石要一氏 )


── 投書を読んだ印象は
明石氏: 意外だった。 周りから孤立している 『ひとりぼっち社会』 がここまで進行したのかと驚いた。
── あいさつ禁止が決まる背景とは
明石氏: 子供を含めた生活空間として、いとこら親族を含む 『身内』、顔や名前を知っている地域社会などの 『世間』、知らない人の 『赤の他人』 がある。 昭和時代までは赤の他人の範囲が狭かったが、現在のネット社会は周り全てが赤の他人に拡大し、 『世間体が悪い』 といった社会規範が通用しない。 戦後の大きな変化はいとこが減り親族が減ったこと。 自分の核家族のみに身内が縮小し、地域社会が消え、社会規範が消えた。
── 少子化で親族の増加は難しい
明石氏: 私は 『斜めの関係』 を持った地域社会の復活や再構築を提案している。 今は親子や学校という縦の関係と、クラスメートという横の関係しかないが、かつては縦横の関係を補完するいとこや地域の子供会などの 『斜めの関係』 があり、人間関係が豊富で防犯上も機能していた。 あいさつ禁止は、ひとりぼっちを促進している。
── 子供にどう教えたら
明石氏: 逃げることを教えるより、 『あいさつしなさい』 と教えてほしい。 あいさつは社会への扉を開く初めの一歩。 大人はたとえ子供からあいさつが返ってこなくてもあいさつを続けるべきだ。 近年はあいさつ文化が消えつつあり、出社時退社時に何も言わない会社もあると聞く。 だが、業績の良い企業や集団はあいさつや返事がきちんとできるという傾向もある。
── あいさつをきっかけとする不審者に不安を持つ保護者もいる
明石氏: あいさつに続く甘い言葉や、 『親が急病』 といった嘘に注意するよう教えればよい。 また、保護者は子供が生まれたら地域デビューをしてほしい。 保護者がひとりぼっちになってはいけない。 親が地域であいさつをすれば、子供は幼くてもその相手が安心な人であると識別できる。
── 都市部など地域社会の再構築が難しい地域ではどうすべきか
明石氏: 地域の夏祭りをやめる傾向があるが続けるべきだ。 祭りを中心に地域住民の顔や名前を知っている状態がつくれる。 昔ながらの祭りである必要はない。 クリスマス会やバザーなど、さまざまなイベントを催してほしい。 地域でイベントを仕切れる人材を育てていく必要もある。 近くに大学や専門学校があれば協力してもらうのもいい。
── 大人のふるまいが大事
明石氏: 大人が自らあいさつして子供にその姿を見せるしかない。 いとこや親族に代わる新しい身内は地域社会。 地域社会で交流することで、子供の世間が広がり人を見る目ができる。 人と交流しなければ人を見る目も育たない。


  ( セコムIS研究所主任研究員 舟生岳夫氏 )


── あいさつ禁止のルールについてどう感じたか
舟生氏: 子供向けの防犯セミナーを行っている立場としては、あいさつをしない社会は怖いと言いたい。 だが最近子供を見守るボランティアの現場から 『子供にあいさつしたら逃げられた』 『不審者扱いされた』 との話をよく聞く。 見守りがやりづらくなり、逃げられれば気分も悪いので、あいさつや見守りをやめようという声が出ている。 こうした風潮は子供の安全のためにならない。 あいさつと子供を誘うような声かけとは区別をしなければならない。
── あいさつ禁止は保護者の提案がきっかけだったが、その背景は
舟生氏: 子供の連れ去りは声かけがきっかけで起こることが多く、保護者もそうした知識をもっているからだろう。 あいさつがきっかけで、 『ゲームしよう』 『かわいい子犬を見せてあげる』 と巧みに誘い、子供がついていくことを保護者は心配していると思う。
── 学校ではどう指導しているのか
舟生氏: 約10年前に奈良、広島、栃木で小学生の女児が殺害される事件が相次いだ。 当時は私が講演に行く学校でも、知らない人から声をかけられたら逃げるように指導しているというところが多かった。 絶対に被害に遭わないという意味で、 『あいさつされても逃げる』 というのは、一つの方法かもしれない。 だが最初から人との関わりを全部断ち切ってしまうと、見守ってくれる人なのか、近所の人なのか、不審者なのか分からない状況に陥る。 今は学校でも、 『地域の人とはあいさつしましょう。 ただ、知らない大人についていってはいけない』 という指導になってきている。 子供の危険回避能力を育てることが重要だ。
── 子供にはどう教えればいいか
舟生氏: 知らない人はもちろん、知っている人でも、ついていかない、行動を共にしないことが大事だ。 その線引きをしてあげてほしい。 他には、 『道を教えて』 といわれたら、 『あっちだよ』 と指さすのはいいけれど、 『この地図を見て教えてよ』 などと近寄ってきたら離れる。 知らない人と距離を保てる力も必要。 困ったときは 『大人を呼んでくる』 『分かりません』 と言って逃げていい。 車からの声かけや腕を捕まれそうになれば、 『助けて』 と声を上げる。 ただ単に逃げるという指導では判断できず思考停止になるだけだ。
── 保護者が日頃から気をつけることは
舟生氏: 子供がその時々で判断できるように、家庭でもいろんな場面を想定して話し合ってほしい。 声をかけられたら逃げなさいというのは、親も簡単だし、地域の大人も子供に声をかけなくていいなら楽かもしれない。 だが、それが子供の能力向上を阻害する要因になることも考慮しないといけない。





( 2016.12.19 )


 「走行中、急停車することがありますので、お立ちの方は、つり革や手すりにおつかまりください」。 バスの車内で何度も、同じ放送を聞かされてきた。 買い物に出かけても、店の中で鳴り響く大音量の音楽に悩まされる。

 家で昼間寝ていれば、竹ざお屋や警察署の広報車にたたき起こされた。 たまりかねた哲学者の中島義道さんは、 「音漬け社会」 との闘いを始める。 その顛末てんまつをつづった 『うるさい日本の私』 は、ベストセラーになった。

 何が騒音なのか。 人によって定義は異なる。 東京都は昨年、条例を改正して、子供の声を騒音の規制対象から除いた。 それでも、 「子供の声がうるさい」 などと、保育施設にクレームが寄せられ、トラブルが絶えない。 保育園の新増設を阻む大きな要因になっているのも、 「静かな住宅街」 を望む近隣住民の反対である。

 夏の風物詩である盆踊りでも、周辺住民への配慮から、騒音対策が必要になってきた。 音楽を電波で飛ばし、踊り手が持参した携帯ラジオとイヤホンで音を聞く、 「無音盆踊り」 を開催している地域もあるそうだ。

 とうとう、百八つの煩悩を払って新年を迎える 「除夜の鐘」 まで、騒音の仲間入りをしてしまった。 昨日の社会面の記事によると、東京都小金井市の寺では、近隣住民から苦情を受けて、一切鐘を鳴らさなくなった。 苦肉の策として、大みそかの昼間に鳴らす寺も出てきた。 そのうち寺が、希望者に電波で鐘の音を流すサービスを始めるかもしれない。

 中島さんの本が出て、20年近くたった。 「音漬け社会」 への反発の声が、高まっているのは確かである。 もっとも街を歩いていると、耳障りな雑音はむしろ増えているようにも感じられる。 不思議である。



 昨年末、大晦日につく除夜の鐘に“うるさい”とクレームがつき、鐘つきをやめた寺があると知ってたいへん驚いた。それも一山や二山ではないらしいと知ってもっと驚いた。
〈最近では騒音問題だけでなく住職の高齢化や焚き火したり甘酒をふるまったりするボランティアが減少し中止する寺院も出てきているという〉
“お坊さん便”が登場して利用者が増えたとき、公益財団法人全日本仏教会は“お布施の金額表示には一貫して反対”“お布施はサービスではない”等々の批判コメントを出してお坊さん便を牽制したが、除夜の鐘を取りやめる寺院については何ら策を講じていないのかもしれない。坊主は丸儲けできないことには興味がないのかも。

 除夜の鐘は鎌倉期に中国から伝わったものらしい。当初は住職がひとりで108回ついていたが、江戸時代後期から一般の参拝者も加わるようになったそうだ。800年以上続く伝統は日本人のDNAにしっかり染みついているのだ。鐘をつかなくても、鐘の音を聞くことで私たちは煩悩を取り払い、清らかな気持ちで新年を迎えるわけだが、では、いったい、どんな人が除夜の鐘をうるさいと思うのだろうか。

 日本の伝統文化に無神経か批判的な人たち……、と書いてしまうとバイアスがかかってしまうからやめるが、静岡県のある寺院では、苦慮の末、大晦日の正午から除夜の鐘(?)をつくことにしているそうだ。除夜の鐘にはうるさいとクレームをつけた人も、“除午の鐘”には苦情を申し立てなかったらしい。
〈 ( 前略 )時間の前倒しによる利点もあった。 昼間は足下もよく見え、つまづきにくい。 子どもからお年寄りまで幅広い世代が参加しやすく、地域住民同士の交流につながる( 後略 ) 〉
 朝日新聞の北川サイラ記者は、除午の鐘のほうが “地域住民同士の交流につながる” とし、それを “御利益” と書いた。 そうかあ? なんだか、朝日が書くと日本の文化の崩壊を喜んでいるようにしか感じられないのは私だけなのだろうか。


害獣駆除と動物愛護の狭間

 〈 おいん家の玄関におったけん、後ろからバットでフルスイングしてぶち殺してやった 〉

 こうした書き込みとともに、佐賀県在住の高校生は、自らの手で撲殺したアナグマの写真をSNSにアップした。 アナグマの死骸が口から血を流していたこともあってか、この高校生のツイッターは大炎上し、ツイッターアカウントに高校がわかる記述があり、通っている高校にも苦情のメールや電話が殺到した。

 学校側はクレーム内容を明らかにしていないが、この生徒に事情を訊き、
「男子生徒は7月( 2016年 )、自宅の花壇を荒らしているアナグマを発見し、バットでフルスイングではなく、棒で追い払うつもりでアナグマをちょっと叩いたら命が絶えてしまった。 両親に駆除したことを報告するために写真一枚を撮ったということでした」
 と説明した。 ちょっと叩いただけで口から血を吐いて絶命することは滅多にないのだが、報道によるとこの高校生は過去にも似たような投稿をしていたのだという。

 高校生のツイッターに寄せられた批判は、大きく二つに分けられる。 ひとつは、残酷だ、アナグマがかわそうというシー・シェパード並みの屈折した動物愛護精神からくる批判だ。 こういった批判をする人たちはおそらくはお花畑に住んでいて、 “害獣” による農作物被害の現状を知らない幸せな人たちなのかもしれない。

 たとえば2015年9月14日、千葉県松戸市で逃走した紀州犬が通りがかった女性に噛みつき、さらに飼い主にも襲いかかる事件が起きた。 現場に急行した警察官はその状況を危険と判断し、飼い主の許可を取った上で銃弾13発を発砲。 大型犬を射殺した。

 このとき、所轄の警察署には批難が殺到し、通話回線はパンク状態になった。 その際、寄せられたクレームというのが “残酷だ、犬がかわいそうじゃないか” “13発も撃つ必要があったのか” “素手でなんとかならなかったのか” という明後日の方向を向いたものだったという。

 紀州犬が逃げたのは朝の登校時間でもあった。 あの場で射殺しなければ被害はさらに拡大する怖れがあった ――、と警察署副所長は説明したが、射殺された紀州犬がかわいそうだと言った人は、飼い主がいなくて安楽死させられる犬の里親になってね。 動物愛護センターのHPを見れば譲渡会などの案内がありますよ。

 ちなみに、この紀州犬は捕獲しようとした警察官3人にも襲いかかり、13発目の被弾でようやく事切れたのだという。 だから、 “13発も撃つ必要” があったのだ。

 さらに遡って2014年9月、山形県の60代男性がキノコ狩りで山に入った際、体長1.8メートルのツキノワグマに襲われたが果敢にも立ち向かって撃退した武勇伝が報じられると、動物愛護派から “熊が殺されたと思うと夜も眠れない” “かわいそうな熊のことを考えると精神状態がおかしくなる” “キノコは熊の食べもの。 山には入るな” といった抗議が寄せられたのだという。

こうした屈折した動物愛護の精神を評論家の呉智英氏は “欺瞞的な自己愛” と切り捨てるが、撲殺されたアナグマをかわいそう、人として許せない、残酷と批判する人たちも同じ感性の持ち主なのかもしれない。

 農水省の発表によると、現在、野生鳥獣( 害獣 )による農作物被害金額は、年間で約200億円にものぼるのだそうだ。 そのため、鹿や猪、猿などを筆頭に生息数の半減化を目標に掲げている。 アナグマ( イタチ科 )も、見た目はとてもかわいらしい小動物だが、トウモロコシや栗などの農作物を荒らし、名前からもわかるように穴掘りが得意なため、建造物の下に穴を掘って土台を揺るがすなどの被害をもたらす害獣なのである。 高校生が住む市でも、猟友会に限って狩猟や駆除が認められている。 市の害獣対策担当者が言う。
「実際にアナグマによる畑や農作物の被害を訴えてこられる住民の方は多くいます。 一般では電気が流れる柵を家や畑に張り巡らすなどの対策が取られているようです。 鉄砲や罠などを使って捕獲、駆除するのは、鳥獣保護法の関係で各地方自治体に申請し許可が下りた人でなければなりません。 捕獲した害獣は、法律に基づき安楽死処分されます」
 高校生の家ではアナグマの駆除を市に申請していたらしく、だから、害獣駆除の観点から、高校生が玄関先でたまたま見つけた害獣のアナグマを殺しても残酷だと批判されるいわれはないのだが、問題は、追い払うつもりでちょっと棒で叩いたら口から血を流して死んだアナグマの死骸をSNSに載せたことだ。

 批判のもうひとつは、こちらの “悪趣味” とも言える行為に向けられたのである。 テレビ朝日 『モーニングバード』 に出演したジャーナリストの青木理氏が言う。
「ぼくも田舎の出だが、田舎では害獣駆除は普通だし、動物の死骸は日常的によく見ますよ。 それをネットにあげ、ぶっ殺してやったみたいなことを書いたのは、おそらく身近なところに知らせるつもりだったのでしょう。 それが逆に 『とんでもない』 とみんなに寄ってたかって批判されてしまった。 ネット的な事件だなと思いますね」
 高校生が写真をアップしたのは、青木氏の言う “身近なところに知らせる” ことが目的ではなく、単純に害獣を駆除した手柄を誇り、自慢したかっただけなのではないだろうか。 書き込みにある “フルスイング” や “ぶち殺してやった” という文言が、それを証明しているように思える。

 その軽率な行為に、批判が及んだのだろう。 人間は人間の都合で自分たちの生活に害を及ぼす動物を害獣と決めつけて駆除する身勝手な生き物だが、だからこそ、その命を決して粗末には扱わないとの不文律があるのだ。 名誉欲に駆られたか、高校生はそれを見落とした。

 アナグマを撲殺し、その写真をSNSにアップした高校生は、寄せられた批判の多さに驚き、戸惑っていたというが、彼もまたどんな思いで新年を迎えたのか。 後悔や煩悩は、除夜の鐘で振り払えただろうか。

 でも、うるさいとクレームがついて除夜の鐘を鳴らさなかったら、私たちはどこで煩悩を払えばいいのだ。 あの鐘を鳴らす人ももう紅白に出ないし。